2017年4月17日の断片日記

▼正確には昨日の夜のことなのだけれども、うっすらと夏のにおいがして、ああ気温が上がったのだなと思った。もちろん日中外を歩いていて「暑いな」とは感じていたのだけれども、それと「気温が上がった」と感じるのはまた別の話なのだった。気温だけでなく気圧や空模様などがコロコロと変わっていくのにそろそろ身体がついていかない頃だ。降ってほしくないときにばかり雨が降り、吹いてほしくないときにばかり強い風がふきつける。「時の流れと空の色に / 何も望みはしない様に」という一節のことを考える。時の流れにも空の色にも、僕らはいつだっていろんなことを望んでいる。あれは、そういうことを言っているのだ。
 
 
▼結局はその人でなければいけないことなんてほとんどないのだと思う。たとえば誰かにとって僕が特別だったとしても「それはぼくぢゃないよ」であるし、僕にとっての君だってそれは本当の君ではないのだから、互いに互いでなければいけないことなんてずっとなかったのだ。それぞれがそれぞれの「わたしのせかい」にそれぞれの僕や君を住まわせているだけなのだ。あるいは役割を。交わらないよな、と並行世界のことをまた考えている。
 

2017年4月15日の断片日記

▼子どもがくれたディズニーのお土産を部屋の鍵にぶら下げている。これまでは6年前に横浜で買った世界で一番有名なビーグル犬のキーホルダーをつけていた。これで2つぶらさがっていることになるのだけれども、その色合いと質量のバランスがとても好みで、仕事に行くときと帰るときにそれぞれ1度ずつはポケットから出して眺めてしまう。そしてそのたびに思うのがコートやジャケットのポケットが好きだなということで、それでもぽかぽかとした陽気のもと機嫌よく歩いていてももう少ししたら上着を着られない時期もやってくるんだよなあと気づいてまあまあ台無しにしてしまう。
 
 
▼新しい人が入ってきて一所懸命まじめに働いている姿を見て嬉しくなっている。そして「新人に限らず、たぶんみんな頑張ってるんだよな」とかひとりで納得している。とにかく最近はそんな気持ちなのだ。色んな人を見て、がんばっているところを探してしまう。今までよりもアンテナを高く張って声をかけたり手伝ったりしている。できることやしたいことはできるうちにしておきたい。生き方に対する後悔は、沈んでいるときと満たされているときのどちらにも襲ってくるものだ。それでも僕は過去の自分を恨んだりはしないし、たとえ過去に戻れても同じ選択をしていたに違いないと考える人間だ。役割に袖を通しているとき、「変えられるのはこれからのことだけだよ」ということをよく言うのだけれども、根っこにはだから今を生きないとねということがあってつまりは究極的には瞬間をとらえたい、そこにとどまりたいといういつものアレになっていく。
 
 
▼一方で最近は並行世界のことも考えたりしている。向こうでは周りのみんなとどんな関係なんだろう。3姉妹とは本当の家族なのかもしれないし、あるいは君はスクリーンの中にいるのかもしれない。あの娘とは同級生だ。後輩たちが先輩かもしれないし、あいつはまだあちこちで遊んでいるのかもしれない。なんとなく、「独り」は嫌だななんて思えるような関係性であれば嬉しいかな。正確には、「ひとりは好きだけど、孤独でいたいわけではない」ということが屈託なくそこにあるような人間だといいよね、なんて思う。そっちの僕に対して。