2017年4月26日の断片日記

▼知っている人もそうでない人もお構いなしに目の前で飛ばされていったり、水に飲み込まれていったりするような夢を見た。僕は周囲を見渡しもっとも生存確率が高いと思われる高台へと避難した。そこは架空の駅に併設された映画館の屋上で、そこから見る景色は海だった。街がすっかり海になってしまっていたのだ。僕の周りには健康そうな高校生くらいのティーンネイジャーがたくさんいた。彼らが無抵抗に音もなく次々と飲みこまれていくのを目の当たりにして、僕も死を覚悟していた。でも結局は、その覚悟をしきれずじたばたとあがいてしまったことも含めてとてもリアルだった。そうして今日も目覚ましとも朝日とも無関係な時間に眼が覚める。1日の始まりで息が切れている。最近の眠りの浅さはいったいどうしたことだろう。
 
 
▼責任ばかりが大きくなる一方で裁量が奪われていくという状況にある。なるほど周りの偉い人が僕にあれやこれやを進めてくれたことの意味がようやく分かった。それでも出だしがやりやすかろうがそうでなかろうが正しいと信ずることをやれる状況になるようにまた認めさせていけばいいとは思っている。力がある立場に肩書きだけで収まるよりは健全だろう、とも。そんな鼻息の荒さとは裏腹に、人はテンションがある閾値を越えるとやる気が全然出なくなるんだなと感じている。まともな仕事をするためにはまずは場をつくる必要がある。しばらくはそれに神経を使うことになるんだろう。疲れるのはそれからでもいいはずなのだが、先々のことを考えると今から頭が痛くなってくる。周囲の配慮のなさを恨んだりもする。毎日毎日(ではないにしても)、こんなことを平気な顔をして繰り返している世の中のみんなを尊敬してしまう。やはり僕にとって「普通」はずいぶんとハードルの高いことだ。ぐずぐず。
 

2017年4月25日の断片日記

▼1日に対する期待値が高すぎると結局その終わりのときに、こんなふうになんだか良くない気持ちになる。だから嫌なんだ。誰かに、何かに、自分に、期待をすることは。そんなことを考えながらとぼとぼと帰り道を歩く。新しく買った腕時計とまた新たに子どもや親がくれた手紙が自暴自棄になる寸前で気持ちを支えている。うかうかしていると死んでしまう、と最近は強く思っている。だからいろんなことにあせっている。瞬間への憧憬も高まる。1日を、1時間を、1秒を無駄に過ごしてしまうことに対して恐怖心がある。きっとそういう感覚もない人たちの中に放り込まれているのだろうから、いよいよ焦燥感も増してくる。僕にできることは何で、僕が真になすべきことは何なのか。それが僕のしたいことであるはずだ。私がそのために生き、そして死にたいと思うようなイデー…。
 
 
▼部屋を出る前は「世界-内-存在」のことを考えていた。それは僕が「わたしのせかい」と、あるいは「わたしのせかいの輪郭」と表現しているものと本質的には同じだと思った。自分が言ったり考えたりしていることはもうすでに誰かが言っている、というのはとても安心することなのだけれども、そのように気づくのは果たしてそれらの言葉をどこかで(多少の変節はあるにしても)耳にしていたのが自分の言葉となって表出しているからなのか、あるいはそれが僕にとって真実性が高いからなのかは分からない。いずれにしてもその安心はどこからか新たな不穏と不安の影を連れてくる。生命は有限だ。
 
 
▼どうせ眠りが浅くて変な時間に目覚めてしまうし、飲んでも飲まなくてもどうせろくでもない1日の運行に影響がないならと強めの酒を毎晩体内に入れてしまっている。僕はきっと僕が何をあるいは誰のことを考えているのかを知りたがっているのだろう。ついに君の持ち物を処分した。あとはデジタルデータだけだ。でもこれは僕の持ち物だからなどと思う。あの娘がその青い「わたしのせかい」を僕にぶつけてくるとき、僕のあるいはあの娘の「せかいの輪郭」は震えているのだろうか。ファム・ファタールという言葉が「運命の女性」という意味と「悪女」という意味を併せ持っているのがとても好きで、もっといえばそれってどこまでもどうしようもない男の側の認識の問題だよなと思うとなんだかそれらを包み込む全てが愛おしい気持ちになってくる。おろかでない男などいないし、魅力的でない女性もまたいないとずっと思っているのだけれども、それは実際のところ性差の問題ではなく、きっとおろかでもチャーミングでもない人間などいないのだ。そんな賛歌を思うとき、僕はぼくの視点で僕を見ていて、それはつまり自分を人間だと認識していないということなのだけれども、でもどうだろう、それこそが他でもない人間のなせる技なのではないのかとも思ったりする。「技」なのか「業(わざ)≒業(ごう)」なのかは分からないが。それでもきっと君なら、あるいは君を含めた3姉妹がいつもそうしたように、とても簡易で素朴なまるでその辺に転がっているかのような言葉で僕のストラグルを射抜いて窒息させてくるに違いない。だがそれは願いや祈りには達することのない妄言だ。それでも、と思ってしまうとき、歴史はその後の人間の持ち物であるという考えに行きつく。僕は毎日死んで毎日生まれ変わっているはずなのに、思わぬところで自身の連続性を見せつけられた格好になる。だからこそ必要になるのが尊厳だ。尊厳を生成しなければ。一番好きな季節にした約束の前に。何とか。