2017年6月13日の断片日記

▼雨のせいで前髪がぐちゃぐちゃだ。そのことはもういい年したおっさんなので(このひとつきちょっとでえらく老けた気がする)、どうでもいいといえばいいのだけれども、他のイライラに勝手にくっついてきて、意識の上に顔を出してくるからやっかいだ。雨にぬれてもいいように使い古した方のカバンを出してきたらどうにもしっくりこないし、出発する時間がちょうどいちばん雨脚の強いタイミングだし、おかげで新しく買った折り畳みじゃなくて大きなビニール傘を使わざるを得ないし、あーあ、ひざはぶつけるし…。前髪の憂鬱は、そういうものにしれっとついてくる。ビル風のせいで「雨の日も安心!」という言葉がむなしく響くできそこないのアーケードを天候にやられて緩慢な動きの人々にリズムを乱されながら歩いていく。まったく些細なことではあるものの、こうして自分で自分に呪いをかけているのだなとか考えながら。
 
 
▼帰り道、口を開けたカバンにも気づかず問題集とにらめっこ。雨が上がっていてよかったなと思う。いつもと違うカバンだったせいで財布を忘れていた(何とかなるもんだね)ので、部屋に戻ってから改めて飲み物を買いに行く(早く、急がなくちゃ)
 
 
▼信号待ちで視界の端にあの娘をとらえる。信頼している働きものの女の子(元気にしているだろうか)が教えてくれた悪い噂のことを思い出す。あたりだよ、さすがだね。それは別として、探している人はその人じゃないんだよなあと苦笑い。腕時計に視線を移す。僕にも(あるいは僕には)ちゃんと門限があるんだよ、きっとね。踵を返してコンビニで炭酸水。まったく、こんなはずじゃなかったのに。見なくていいもの、感じなくてもいいもの、汚さずに済んだもの。雨のせいで、何もかも。
 
 
▼それでも衝動的にならずに済むくらいには覚悟は決まっていて、ああ2017年なのだなと思った。正確には、2016年が、いつの間にかしっかりと終わっていたのだなと。

2017年6月11日のHOW TO GO

▼そうか、今は「HOW TO GO」なんだなと思ったのは、ずっと僕が誰かを探していることを街が知らんぷりしてくれていることにほっとしている自分に気がついたその時だった。でも少しほっとして…「ばらの花」のミニマルなリフが心音と重なっていく。いろんなものとすれ違ったりはなればなれになったりすることを思う。「HOW TO GO」そう、ここからの歩き方を今、問われている。誰に。自分自身に。
 
 
▼オリジナルメンバーである森の脱退後にリリースされた「HOW TO GO」は、バンドのステートメントであるのだなということはあるにしても、たとえば先の「ばらの花」にせよ「ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いていく」と歌った「ワンダーフォーゲル」にせよ地続きの風景がそこにはあって、それは後の「Jubilee」での「なんで僕は戻らないんだろう」や「琥珀色の街、上海蟹の朝」で通底している風景からもよく分かる。1stのオープナー「ランチ」でさえも満たされたものを装いながらそこには断絶の可能性が横たわっている。「未来の事を話したい いつでも愛ある明日を信じていたい 珈琲は冷めてしまったよ」飽くことなく語り明かす幸福な2人ととらえるか、お互い気持ちは決まっているのに会話として落とし所がない2人ととらえるか。どの時期の作品をいつ聴きかえしてみてもまったく強度を失わないのは音作り以外にも理由があるのだ。『アンテナ』がいちばんのフェイバリットで、それはクリストファーの太鼓が大好きなのと、当時の映像を見るたびに、この4人でないと出せない音、この時期でないと鳴らない音といった魔法めいたものがそこに宿っている気がするからなのだけれども、実はあの頃から(あるいはその前から)ずっとどう歩いていくのかということを問われ続けていたことにどこかで気づかされていたせいもあるのではないかと今になって思う。
 
 
▼「僕達は毎日守れない約束ばかりして朝になる」約束は最小単位の生きる意味、とレジュメしたのは10代の頃の自分で。今なら約束ということばではなくて契約と表現するだろうけれど、それでも「約束」の方が優しさと怯えがそこに同居していて良いなとも思う。守れないのを分かっていても約束をし続けること。生きるためには必要なことでしょ?そうでなければ、また明日、だなんて。その後3.11を経て「everybody feels the same」と歌っていたときも、それは絆とかそういうしょうもない圧力とは無縁で、あの時を境に何かが変わってしまったのは皆一緒で…ということ、それ以上でもそれ以下でもないことが心底嬉しかった。僕があの時「いいから黙って自分のために祈れよ」みたいなことを言っていたのも同じことだと思う。すれ違いながら、はなればなれになりながらも、「一緒に」歩いていく。嗚呼、否定からのそれでも。
 
 
▼「いつかは想像を超える日が待っているのだろう 毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ」僕も重ねてそうつぶやいてみる。そのことによって守ろうとしているものの中で僕自身が胎児のような格好で小さく震えている感覚。それはそれとして引き受けたうえでの、ハウ・トゥ・ゴー。どうしたって、これからも行くしかないのだ。過去にしか未来はないにしても。
 

くるり - HOW TO GO