サニーデイ・サービスがそばで鳴っていた僕の10年とすこし disc4

解散前の作品の中で文句なしの最高傑作。バンドとしての充実具合が楽曲や演奏からも伝わってくる。全曲名曲のパーフェクトなコンセプトアルバムである。この余りに素晴らしいまどろみの迷宮に、彼らはいよいよ自分たちのバンド名を冠す。

サニーデイ・サービス』(1997)

サニーデイ・サービス

サニーデイ・サービス

  

奇跡のような始まり

「さあ出ておいで 君のこと待ってたんだ」という歌いだしで始まるオープナー「baby blue」はこの国のポピュラーミュージック屈指の美しさで奇跡のような曲だ。そんな楽曲に導かれて、行き先の決まっていない旅が始まる。
 

曽我部恵一 (サニーデイ・サービス) x 角舘健悟 (Yogee New Waves) - baby blue
 
 

気ままな旅が行きつく先は

▼夜明けごろ。空が白んでやがて「朝」になり、主人公はどこかの駅へ向かい、電車に乗り出かけていく。その1日は彼が見る景色や、見るはずだった残された人のことを描きながらすすんでいく。やがてピンク色の月が市井の人々の今を映し出す。「いくつかいい曲を知っている」ギターの調べにのせて更けて行く夜空には星が浮かび、踊るあの娘や男の子の笑顔、女の子の涙を包み込んでいく。
 
▼そして翌日には雨が降る。僕にとって雨というのは晴れた空よりも気分に作用する暴力性が高い。すべてを規定してしまうほどに。だから「やがて雨が降り出すんだ」(「雨」)と歌われると、この旅の行き先を暗示されているような気分になってくる。そして今度は風が強く吹いてくる。風が強い日も苦手だ。いろんなものが台無しになるから。でも苛立ちや諦念をそのことに仮託しながら、まあ仕方がないよねと思えるようになってからは、その一瞬の気持ちの高まり…たとえば「花が散ってなくなる前に写真を撮るつもりだったのに」のああもう!という瞬間に宿るものを愛せるようになった気がする。
 
▼そんなあれこれを「旅の手帖」にしたため、最終的に旅はどこへたどり着くのか。「そして風は吹く」において「黒い鳥が飛んで 蒼白い時になる」と示されていたとおり、つまり本作が「bye bye blackbird」で終わり「baby blue」へと戻るように、その実この旅は、どこにも行っていなかったのだった。あるいはどこかへ行っても最後はそこに戻ってきてしまう、そしてそれを何度も繰り返す…。そんなこのアルバムの結論が、本当に素晴らしくて感動する。日々を、人生を旅のように歩むのは自分自身であり、それはいつでも自分自身へ、それも「今ここ」の自分へと帰って/返ってくるものなのだ。だからいつでも始められるしまた、終えられる…。
 

サニーデイ・サービス「NOW」

 

すれちがうことが運命づけられた関係へ

▼本作がライブラリにおさまったおよそ4年後に僕はある女の子と出会ってその後8年に渡って永遠はないことのアナロジーを営む共犯関係を結ぶことになるわけになるんだけど、それは「旅の手帖」で歌われていたように、僕が悲しそうなときに君は上機嫌で、君が悲しそうなときに僕はどこか上機嫌で…確かにそういう日々だった。すれちがうことがあらかじめ決まっていた関係は、もしかすると人生そのもののことを僕に教えてくれていたのかもしれない。つまりそれは…すべて初めから「旅」であって、結局はどこにも行けないんだよということをもっと以前からサニーデイは鳴らしてくれていたということなのだ。
 
▼それでも、「bye bye blackbird」で描かれていた「いつも君は 僕を迷わせては 赤い舌を出して逃げてゆくんだ」これを本当に眼前で展開された映画のようなあの瞬間のこと、そしてそれが一度きりではなく、そのたびに僕は文字通り生かされていたこと、一生忘れないだろう。それだって彼らの音楽があってこそのことだった。

きらい、でもきらいじゃないよ。あなたを振り回したことなんて一度もないわ。今15秒も見ててあげたのに気付かなかったね。先に行ってるね、でもついてこないで。これでおしまい、もうすぐおしまい、ばいばい。そう言って君は、赤い舌を出して逃げて行く。比喩ではなく、本当に本気のあっかんべえ。時計の止まった部屋で、何時間も、何日も。同じ話を何度も聞かされるのを素知らぬふりで許し、同じ話を2度すれば叱られる。そうやって僕は何度も乗り遅れ、乗り過ごす。音楽だ、と思う。


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重ねられた生活 20170902~0908

0902(Sat)

雨が降ると言っていたのに、一転爽やかな天気で素晴らしい気候だった。こういう日はそれだけでいい。またどうせすぐに暑くなってどうしようもない気持ちになるのだろうけれど、今はこの空気に浸ろう。とにかく早く季節が進んでほしい。そうしたらまた花を買おうと考えている。今のところ、それが今後の楽しみの1、2を争っている。
 
 

0903(Sun)

放置していた『火花』の第5話を観た。とてもいいエピソードだった。Netflixに加入してしばらく経つ。最初はこれで通って来なかった映画をたくさん観れるなあとか思っていたのだけれども、結果としてはオリジナルのドラマばかり観ている。ドラマ、か。昔の自分が聞いたら驚くだろうな。
 
 

0904(Mon)

ヘッドフォンをしていると、窓を開けていても救急車のサイレンすらも聞こえない。
 
 
youtubeをウロウロしていたらなぜかPerfumeの動画にたどり着いた。彼女たちのことはよく知らない。。不勉強だ。

[MV] Perfume「ねぇ」

[MV] Perfume「ナチュラルに恋して」
この2つを見て、ダンスすごいね(ステップかっこいい!)というのとあるいは同じくらいに女の子のオシャレってやっぱりいいよなあと感じた。寒い季節のそれが、僕は本当に好きだ。音楽関係ないや。はは。
 
 

0905(Tue)

昼。また自分の身を犠牲にしなければならないのかと深いため息。僕は自分の人生をいきたいだけなのに。
 
夜。恋に落ちた記憶はないのに、恋をしているかのような気持ちで。エレベータで反響する笑い声。自動で開く扉を抜けながら、あるいはずっと、どうしようかなと考えている。優先順位の変調。目元の印象を変えているのに気づいている。いろんなことに知らないふりをする必要のない日々が今日もまた上りと下りを分かつ構内でプールされる。プラトンはエロスは知恵と愚かさの間にいる、と書いていたけれど、果たして恋には理由が不要で愛には理由が必要という僕の直観は、愚者のごときふるまいではないのだろうか。再び自動で開く扉から放り出されては歩きながら魔法のことを考える。まばたきの瞬間の。
 
 

0906(Wed)

それでも僕には理由が必要だから、そのコを気にかけてしまう、あるいは惹かれている可能性とその理由を考え、探してしまう。だがしかし。そのコを前にしても、これが、ないのだ…。分からない、と思う。そして終電。
 
ところでサニーデイを絡めた記事を書き始めたのは、disc1で書いたとおりのことなのだけれども、それとは別に、たぶんあの8年をちゃんと歴史にしようとしているからなんだと思うなど。そう思えば最近のこともなんとなくの理由づけは可能な気がする。
 
 

0907(Thu)

行き帰りの電車の中で『饗宴』を愉快な気分で読んでいる。
 

ならば、エロスが子を生むことを求めるのはなぜか。それは、死をまぬがれぬ人間にとって、生むという営みは、永遠と不死にあずかる手段だからだ。そして、エロスはよいものだけでなく、不死をも欲しているはずだ。この点は、これまでの同意から明らかだ。なぜなら、エロスは、よいものを永遠に自分のものにすることを求めていたのだからな。この理由により、エロスは不死をも求めていると考えなければならぬわけだ
 
プラトン 中澤務(訳)『饗宴』光文社 p.138-139

 
ディオティマがエロス論を語る一連の個所を興味深く読んだ。みな「よいもの」を「永遠に」欲するが、永遠とは有限存在である人間には到達できぬものであり、よってそれは「老いて消え去りながら、自分に似た別の新しいものをあとに残していくというやりかた」を採用することで達成される、という話が非常によかった。そこでは身体や心、知識でさえもその永続性・同一性が否定されている。

上記引用の前後にはもっと直接的に男女の交わりについて述べられている個所もある。でも「人間はみな、子を宿して」おり、心も身体も時が満ちると美しいものの中で子をなすことを欲するというのは、男女の間や少年愛の中だけで成立するわけではなく、言葉においてもそうなのではないかという自分勝手な読み。瞬間は永遠でありまた美そのものでもある。僕はそこにたどり着きたいのだ。

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

 
  

0908(Fri)

目が覚めると君から謎めいたメッセージが来ていた。来たことそのものの衝撃を受け止めつつ同時に難解なそれを処理できるほどの高性能なメモリは残念ながら僕には搭載されていないようだった。くらくらしてしまう。いったん放置。
 
夜からの仕事だったので午前中は美容院へ。担当の人とお話をしながら強烈な眠気に襲われる。別に退屈だなんてこともなかったのに。人と話している最中にこんなに眠くなるなんて初めてのことなのではないだろうか。部屋に戻って再びベッドに倒れこむ。そのまま出勤時間ぎりぎりまで眠りに落ちる。調子、悪かったのかな。それとも狂わされたのか。
 
電車の中で『死んでしまう系のぼくらに』を久しぶりに読み進める。しばらくの間、なんだか読む気持ちにならなかったのだけれども、君からのメッセージがまたそうさせたのだと思う。だがこれはやはり、1回で読める量に限度がある。
 
夜になって朝の件にぼんやり返事をする。ただ、難解なそれは返事をするようなものだったのかも定かではない。君から続きが来るとも思えないのでいったいなんだったのか…という感じではあるのだが、そもそも君とのことは僕があれこれ考えて何とか納得できる理由づけをしているだけであり、君を分かったと思えたことなんかこれまでただの一度もなかったのだった。
 
終わり始めて動き始めた今週はここまで。