重ねられた生活 20170923~0929
0923(Sat)
いままでの酷さをさらに更新するような1日だった。顔が痛む。若干の痙攣としびれがある。ここにいたら死んでしまう。
0924(Sun)
窓から見た夕方と夜の間の空の色がとてもきれいで、何もせず人や車が行きかうのをぼうっと見ていた。
岡崎体育 - 鴨川等間隔 【MUSIC VIDEO】
あの日故郷を失って、抱いた思いは確かにそういうものだろうとは思うのだけれども、それでも僕にとっては土着の文化とか空気に対する思い入れが薄くて、失ったあの街に対しても、その後どこにいっても、何年そこに住んだとしても、お客さんという感じがいつもしてしまう。だからこういうその土地に根付いた文化・空気感が反映されたものに対しての憧れめいた思いがある。それでいてここにあるのは普遍だから、表現者の才能というものにはいつも驚かされる。
別にどうしてほしいわけじゃない
ただそれくらいの許容や容赦を
保てる心を育みたいぜ
(幹から腐った訳では無いぜ)
確かに思ってたよなあ。今もか?
0925(Mon)
『告白』は3分冊の2冊目、アウグスティヌスの回心の場面まで進んでいる。第八巻。感動的だ。僕にも瞬間にたどり着くその時が訪れるだろうか。
- 作者: アウグスティヌス,山田晶
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/03/20
- メディア: 文庫
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0926(Tue)
久しぶりに駅の階段を少し走ったよ。いつもなら、走るくらいなら…ペースを乱されるくらいなら…と考えてしまう場面で。とにかく乗り換えが不便で、ロスの時間が多い。まあ今日のダッシュは部屋を出るのが少し遅れたのが原因ではあるのだけれども。引っ越しという言葉が少しだけ頭をよぎる。
えへへとよく笑うこのコもまた自身に無頓着な子であった。わたしのせかいに長くいすぎた身としては自身への無頓着さを見せられるとそこに尊敬の念を抱きたくなる。自分のことが嫌いだし、醜いとずっと思っている。そのせいで自分のことをとても気にする。他人の目というよりは、自分の目を気にしている。それはこの先、仮にとんでもない量の承認を得たとしてもぬぐい去れないだろう。(ちなみに承認欲求そのものはだいぶ低い気がする。自分が自分を承認しない限り他者からのそれはあまり効果がないように思えるからだ。)だからこそ、誰かからその醜い自分を攻撃されて最後の砦が崩れ去ることのないようにわたしのせかいの輪郭を慎重に見極めながら過ごしていく。そんな生き方をずっとしていると、無頓着な自我を見るたびにそれを肯定して、そこに僕なりの境界をきちんと作りたくなるのだ。そうやって初めて、わたしのせかいに住まわせることができる。
とはいえ、その頓着・執着のなさはそう見えるだけなのだろう。君だって…まあ君は本当にそうだったんだけど、それでもそうすることが、あの場所で生きていく術だったわけだし。ね。
0927(Wed)
朝から移動に次ぐ移動。地上を走る地下鉄に乗りながら考える。「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら? 平行する世界の僕はどこら辺で暮らしているのかな」てすごいよなと改めて。「流動体について」ばかり聴いている。とんでもない曲だ。それはそうと、間違いに気がつくことは大事だ。間違いって、本当は<あとから気づくことしかできないもの>のはずなのに、そのことを忘れて生きてしまっている。
いくつか目の仕事を片づけたのち、何度目かのその街の知らない出口から知らない方へと歩いていく。住宅街を抜け、小さな洋菓子店へ。なんだかんだと理由をつけて、あちこち脚を運んだ日々を思い返す。ショーケースを眺めながらいろんなことを考えたり想ったりした。正直にいることと、少しの保険と、そんな感じの2つを選んで会計を済ませた。
その街には合格していたら所属することになる大学のキャンパスがあって、少しだけ寄り道して学生たちに紛れる。僕には彼らよりも余計に10年近い日々が流れている。中身がどうであれ。時間だけは確実に。あんな記事群を書いているからなのかもしれないが、最近になって僕のこの10年の意味をよく考えている。何が、どうなって、今へと向かっているのか。整理しようとしている。<歴史>のように、つまりは因果がそこにあるかのように。
夜。そのコがよいしょーと放り投げたものの軌道を目で追う。自由だ、と思う。僕はといえばていねいさを携えてそれをそこに置く。そういうバランスのとり方をしている。君ならどうするだろうかと考えて、それが浮かばなくて、すこしだけ安心する。そのコに渡された2つの菓子は、同居する妹にも届いたようだった。そうしてほしかった。だから、僕も嬉しかった。
0928(Thu)
起きぬけにこの記事を読んでいたく感動してしまった。そういうことなのだろう。
milkjapon.com
彼はずっと同じことを歌ってきた。「今、僕たちは美しい時間の中にいるんだ」と。そして、「それは人生の中では一瞬のこと」「刹那なんだ」と。
本当にそうね。それで…過ぎ去るからこそ尊いは正しいかもしれないけど、過ぎ去るからこそ美しいというのはどうなんだろうと僕は思っていて、だからこそ刹那より「瞬間」を僕はとるし、美しさである瞬間そのものにとどまることはできないのだろうかと考えているわけで…。
その後、年に1度の務めを果たしに行く。それが済んだら近くの店でクリームパンを買うのがここ数年の習慣だったのだけれども、仕事の予定が詰まっており今年は買えなかった。
上野東京ラインの車中から降り出しそうな空を眺める。転送した郵便物を受け取りに郵便局へ向かう頃には雨が降り出していて、この雨を境にして、好きな季節がやってきたりはしないだろうかと考えた。そして、合格通知を受け取って、残りの仕事を終えて終電で帰った。
0929(Fri)
朝から入学に関する事務手続きを済ませる。住民票をとりにいったら、前の人が間違えて余分に買ったやつを使うからとかで収入印紙ではなく窓口で現金払いをすることに。そんなこともあるのか。その足で銀行へ。学費ゆえ、結構な額を振り込んだわけだけど、本人確認とか一切なくいいのかしら、と…。まあそんなもんなのかね。
高揚感があるといえばあるけれど、思ってたよりもそれは小さかった。仕事の憂鬱がそこを浸食しているというのもあるけれど、何よりも地に足をつけて、次の10年ではしっかりと瞬間に近づかなければという思いがあるから。浮かれている場合ではない。ここからは修羅の道…。とりあえず、それを可能にしたこれまでの社会人生活を送った自分に感謝をする。あなたが我慢して、頑張ったおかげでこうして学び始めることができる。全てはこれからであるが、ようやく1つ自分を認めてあげてもいいのかなと思えることができた。自尊心の萌芽を見いだすまでに30年以上もかかってしまった。これまで以上に(というかこれまでは雑に扱いすぎた)健康には気をつけなければならない。食べ物を変えた。そしてジョギングを再開した。今週はここまで。
サニーデイ・サービスがそばで鳴っていた僕の10年とすこし disc8
▼イギリスのバンドの中で一番好きなのがThe Kinksで、アメリカのバンドだとPavementな僕は、つまりは結局何にも間にあわなかったのであり、それはサニーデイ・サービスについても同じだった。彼らが駆け抜けた日々を追体験しながらも、どこかで「またか…」との思いを抱いていた。僕を夢中にさせる存在はいつだってここにはいない。
▼それでもすっかり僕の生活や人生に欠かせないものとして鳴り響いていた彼らの音の間をぬって、その知らせは届けられた。再結成。そして、音源も出る。ソロ作も曽我部恵一BANDも聴いていたし、それぞれでやろうとしていたことは理解しつつも、やはりサニーデイ・サービスという魔法にかけられてしまった人間にとってその知らせはどれだけの胸の高鳴りを連れてきたことか。
『本日は晴天なり』(2010)
- アーティスト: サニーデイ・サービス
- 出版社/メーカー: ROSE RECORDS
- 発売日: 2010/04/21
- メディア: CD
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10年ぶりの8枚目。
サニーデイ・サービス「ふたつのハート」【Official Music Video】
そこには当たり前の顔をした10年後のサニーデイの姿があった。解散とか再結成とかは抜きで、10年ぶりに出た8枚目のアルバムが、ただそこにあったのだ。これには本当に驚かされた。と同時に流れた時間のことを思った。彼らに、そしてかつて彼らに夢中になった人たちにも、同じだけ時間が流れていたのだ。
あぁ愛はいつでも やさしくて かんたんで
だから今日は手をつないで歩こう
「南口の恋」
そんな人たちに向けて書かれた手紙のような作品。こんなに美しく穏やかな久しぶりの挨拶があるだろうか。
自身のなんでもなさから5年。
▼かけだすようににぎやかなオープナー「恋人たち」だけでも「ああ…サニーデイ・サービスだ…」だという感動に震えるわけだけど、ラストの「だれも知らなかった朝に」における
彼女25歳
実家を出て
白が汚れないように
暮らしている
これが自分のことだったのがとても大きかった。当時24歳だった僕はこのとてもていねいにしたくをする25歳の彼女を、確かに自分の中に飼いながら暮らしていたのだった。そしてこの曲の演奏時間6分17秒という数字の並びは、僕の生まれた日付と同じだった。そう、この曲で歌われているのは僕のこと…『若者たち』で僕の何でもなさを歌ってくれたのと同じことを、今度はリアルタイムでやってくれた。そのことがとても嬉しかった。
▼翌年、東日本大震災が起き、僕は生家も育った家も、街そのものも失った。それでもその惨状を直接見る気にはなれず(映像や写真はかなり執拗に見た。見なければいけないという強迫観念すら何年かに渡って抱いていた)その後何年も地元に足が向くことはなかった。僕はその場にいなかったという意味で当事者ではない。だから彼らの恐怖と痛みを真に理解することはできないのだ。その一方で僕の人生にまつわるものたちが海に飲み込まれたという事実の前では、かの地とは無関係ながらも隣で不安げにしている人たちと同じ温度でも決してない。
▼僕はそれまで以上に宙ぶらりんな存在となった。そうした存在は積極的にメディアで取り上げられるようなものでは当然なく、ほとんど可視化されなかった。でも僕と同じような人たちが一定数いたはずだ。彼らの後ろめたさと罪悪感、疎外感を思うと辛い。そんな気持ちにさいなまれていた頃、台所に立ちながらこの「だれも知らなかった朝に」を聴いては涙ぐむ夜が何度もあった。そして、台所に立っていたということは、生きようとしていたのだなと今になって思う。
美しく終わらせるために
▼20代半ばということは後半の入口手前。敗北主義、美しく終わらせることへのオブセッション、そうしたものの萌芽。その季節にあることを僕はまだ自覚していなかったのかもしれない。
偶然に誰かと出逢う
突然に恋におちる
そしてなにもなかったようにある日わかれる
五月雨が通り過ぎて きみの匂いを消してゆく
いつかはぼくらぜんぶ 忘れてしまうのだろう
「五月雨が通り過ぎて」
それでもこういう曲が傍らにはあったのだ。この頃の君は最も影がなく、ただただ、美しかった。