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2016年4月16日の日記

▼個人の感傷のために語られるようなことではない、というのは百も承知の上で。 ▼九州で大きな地震があった。震度7というその文字列にすぐにあの日に記憶が引き戻され、胸が痛んだ。正確には引き戻すも何も常に傍らにあったのだけれども。普段はそれらにまつ…

2016年4月13日の日記

▼精神が不調だと頭が冴えて良いなどというのは若いころの特権であって、精神の不具合は今やフィジカルの問題とも深いところでつながるようになっており、若者たちには健康な肉体というものを何よりも大事にしなさいと余計な世話と承知の上で伝えたい心持でい…

2016年2月18日の日記

▼1月にトーキョーでも雪が降って大騒ぎだったころ、雪の降る街で長く過ごしつつも今やすっかり都会の人間の顔をしている僕もまた、周囲の人々と同じように足元ばかりを見て慎重に歩いていた。雪もやんで数日したのち、疲れた群れの中で、「雪の降る日の空」…

2015年12月14日の断片日記

▼街の中で、見えるもの・聞こえるもの。ひとりでいるときと誰かといるときでは、まったく異なるものが見えるし聞こえてくる。その違いがどうして起こるのか、が言語化できそうでできないところでウロウロしている。

2015年12月2日の断片日記

▼半月ほど前の話だ。 ▼欄干から少しだけ身を乗り出しながら「あれは何のお店?」と聞いてくる。あれは…1階が旅行代理店だね…説明を聞いているのかいないのか、手すりにもたれかかる君はもうほとんど眠ってしまいそうだった。風邪をひくといけないから、あた…

2015年11月7日の断片日記

▼ようやく少しだけましになってきた体調の朝は君からの着信で幕を開けて。サンキュー、目覚ましをかけ忘れていたよとひとりごち、ネクタイの結び目に不満を抱きながら仕事へ向かう。気温はまだ高い。もう少し寒くなってもらわないとね。でもそのときにまた身…

2015年11月1日の断片日記

▼昨日の日記を書き終えてから、そういえば数週間前に君が右足をけがしていたことを思いだし、その時に使っていたサポーター?のようなものを借りようかなと思ったのだけれども、そこに卑猥な何かを感じ、ひるんでやめた。モノの貸し借りが結構苦手だ。僕は僕…

2015年10月18日の断片日記

▼フレームの話、だった(らしい)。ので、その話をする。んやあ、短歌が身体の中に入ってきてから、5音と7音にやけに敏感になったねというありきたりな話なのだが。子どものノートをみていても音数に意識がいくようになっていて、この年齢になって世界認識…

2015年9月23日の断片日記

▼色鮮やかな棚の中からオレンジジュースを取りだす君の白い腕を後ろから覗き込む。昨日話していたことからの地続きをそこに見て、僕が僕として昨日から続いている可能性を思い少しだけほっとする。鏡として利用可能なわずかなスペースを前に前髪を整える姿に…

2015年7月14日の断片日記

▼アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)作者: 山田晶出版社/メーカー: 講談社発売日: 1995/07/04メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 9回この商品を含むブログ (5件) を見る このような状況を前提とするとき、『告白』に記された回心のドラマは、本当に理解…

2015年4月13日の断片日記

▼言葉が好き、まわりの話を読んでいて考えたのが(息を吐くように本筋からそれるが)、言葉と私の主従関係についてだ。 ▼言葉が好き、と言っている時の主語は当然私なわけだけれども、私が主で言葉が従である関係性を当然のように受け入れても大丈夫なのかな…

2015年4月6日の断片日記

▼とても優しくて喜びに満ちた夢を見た。果たしてそれは独りで空想にふけることといったい何が違うのだろうか。夢はまるで実体験のように僕の気分に(ごく一時的に、ではあるが)作用する。一方で空想はそうでもない。前者はコントロールが効かない点において…

2014年9月17日の断片日記

▼「お帰り。」「…どうして、お帰りなの?」 ▼君とはめっきり言葉を交わさなくなった気がする。夏の入口には僕らは遊び疲れていたはずなのに…。昔からそうだが、別れたり戻ったり、仲違いをしたり修復したり、とにかくそういうことをしながら、僕は(おもに独…

2014年8月26日の断片日記

▼毎日毎日疲れるために疲れから回復するのはとてもバカみたいなのでやめた方がいいと思った。 ▼僕の最後の日々に、君は何を思うか。君は僕に理由をくれるが、君自身を僕は説明することができない。わたしのせかいにおける君は君自身ではない。君自身にたどり…

2014年8月15日の断片日記

▼執着から解き放たれなければならない。それを可能にするための最も確実な方法は、執着している対象を視界から消してしまうことだ。対象は、僕を掴んではいない。僕が、それを抱こうともがいているだけなのだから。 ▼見知らぬ人の生き方に触れる。彼らを素晴…

2014年8月7日の断片日記

▼絵画の知識はさっぱりだが、それでも好きな絵というのはいくつかある。最近はターナーの『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』を気に入って毎日見ている。僕が僕を他と区別しているときに目に見えているものはフィジカルコントロールがきいている範…

2014年8月4日の断片日記

▼夏というだけで、自らの世界に疑義をつきつけるには十分すぎる気がする。 ▼君に何をされても、君に何を言われても君のことを嫌いにならないのではないかと思いいたる背景に、君の中に自分を見るからという恐ろしい可能性をみる。もともと実在するのかどうか…

2014年6月2日の断片日記

▼死の場に赴いたからかもしれないが、身の回りの亡くなってしまった人のことを考えることが多い。十数年前に亡くなったお向かいに住んでいた気のいいおじさんは、僕が野球をしている姿に目を細めてくれた。お酒の好きな人で、最期は確かそのお酒のせいだった…

2014年3月4日の日記

近代能楽集 (新潮文庫)作者: 三島由紀夫出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1968/03/27メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 35回この商品を含むブログ (73件) を見るむつかしいことは分からない。抜き差しならなくなった人々の話が好きなのは、情念のみで生きる…

2014年3月1日の日記

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)作者: 高橋昌一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/06/17メディア: 新書購入: 56人 クリック: 299回この商品を含むブログ (179件) を見る真に民主的な意思決定も、あるいは理性的な選択も存在…

2014年1月16日の日記

先日夜中に部屋に戻ると、月に囚われた男を放映していたので酒を飲みながらぼんやりと見ていた。映画『月に囚われた男』予告編 - YouTube僕は僕の人生を収奪されたとも、何かを搾取されているとも別に思っていない。薄給激務の類ではあろうかと思っているが…

ちくま哲学の森 1 生きる技術

ちくま哲学の森 1 生きる技術作者: 鶴見俊輔,森毅,井上ひさし,安野光雅,池内紀出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2011/09/07メディア: 文庫 クリック: 2回この商品を含むブログ (4件) を見る生きる技術。生きるためには技術がいる。その人生のためだけの技…

2013年12月1日の日記

場を変えても、関係する相手を変えても、いわゆる「あたし目が覚めたら今日もまたあたしだった」の地獄からは逃れることは叶わず、結局のところはツールでありコンテンツであり、という生き方しか選択できない。その中に楽しみや仕掛けを見出せないことはな…

オディロン・ルドン

眼は、精神を養い、魂を養うさまざまなものを吸収するために不可欠のものである。見る能力、正しく見て、真実を見抜く能力を持たない者には、不完全な知性しかないだろう。見るということは、おのずから物事の関係をつかみ取ることなのだ。 特に黒の時代にお…

2013年5月16日の日記

ある種の人間にとって愛は病そのものである。そしてその愛に殉じるとき、愛は救いであり、恍惚である。だがそれは彼が病人であり、狂人であることの証でもある。愛は人を救い、愛は人を殺す。

2013年5月2日の日記

今回1年ぶりに京都を訪れるにあたって心がけたことがいくつかある。そのうちの1つが、観光客にならないことだった。目的のうちのこれまた1つであった、お守りを奉納することを終えた後は、本当に行き先も決めずぶらぶらしていた。今思えば新幹線代とかか…

ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代作者: 山田宏一出版社/メーカー: ワイズ出版発売日: 2010/06メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 50回この商品を含むブログ (12件) を見る しばらくはここに示されている引用元をあちこちめぐってみようと考えているのだ…

2013年2月21日の日記

永遠はないということ。瞬間に到達しなければならないと考えること。そのことが、いつの間にか焦燥感と結びついてしまっていた。そうすると、選択の際にこれまでとの微妙な違いが投入され続けていることになり、その差異が意識レベルまで上がってきたという…

2013年2月11日の日記

あなたには何でも喋ってしまうわと笑う彼女を前に、僕もまたそうであることを告げながらずっと別のことを考えていた。目の前にいる人間を突き抜けて他へとアクセスしようとしていることに気づいた時の不快感にはいつまでたっても慣れることはない。そしてそ…

2013年1月21日の日記

妙な焦りを覚えるのは、死を意識しているからかもしれない。かつてその死を事実としてのみとらえていた時期というのは、やはり明日があることをどこかで信じていたのだろう。「また今度でいいや」の刹那に襲ってくる恐怖は、死を実感し、死を見据えたものに…

2013年1月19日の日記

かつて涙は流していないがずっと泣いていると言ったのはいつだったか。僕は今なおそうなのだろう。そしてこれからも。

2013年1月11日の日記

1.かつて僕が奔放な女子に振り回されたいとそう言っていた時、それは同時に「白馬の王子様待望論」を内包していた。 2.尊厳が傷つけられるようなことが続き、それがクリアになることなく堆積し続けた場合、人は死に至る場合がある。 3.うすら笑いを浮かべ…

2013年1月7日の日記

今日でまたお別れね、と彼女はいましがた交わしたばかりの挨拶と同じ熱量でつぶやいた。終わりが決まっているということはなんて素晴らしいのだろう。それは瞬間に近づくための、その一助となる。仕事で得たフラストレーションをエンジンに、神様の使いの言…

2013年1月6日の日記

叶わないことを理解している、と僕が言うとき、そこにはほんの少しばかりの祈りが込められている。他でもない人間である以上はそこはもう仕方がないかなと思っている。予防線としての言霊を置きに行く精神性を思えば、これもまた人間である以上に日本人であ…

2012年9月6日の日記

私だけの信仰をようやく持ち、自らの行いのなんたるかを探らんとしている時である。絶対的な存在及びそのものとの関係性の変容の前に、私は罪を告白することもあるいは全てを放棄することもなく、ただただ絶望するばかりである。そう、この選択をしないとい…

2012年9月4日の日記

絶望によって感性を研ぎ澄ますと希望に転化するが希望によって到達できるものは絶望それのみである。

2012年5月19日の日記

13歳の頃の僕は哀しかっただろうかと思った。恐らく、そんなことはなかっただろうと思う。当たり前にローティーンであったし、当たり前に愚かであった。ごくごく普通に、満たされた生活を送っていたはずだ。その後革命へと歩みを進めていく上で重要であった…