2013年5月2日の日記

今回1年ぶりに京都を訪れるにあたって心がけたことがいくつかある。そのうちの1つが、観光客にならないことだった。目的のうちのこれまた1つであった、お守りを奉納することを終えた後は、本当に行き先も決めずぶらぶらしていた。今思えば新幹線代とかかけているわけだからめいっぱい観光を楽しめばよいのだけれども、そんなことよりも電車を乗り継いでとにかく人がいない方へ行き、わけのわからないところで降りることが本当に楽しかったのだ。切符を買うという行為自体が久しぶりだった。もう何年も電子定期なんだよなとそのとき気付くのだった。何て読むか分からないお店に入ってそばを食べたり、鴨川沿いでごろんとしたり本を読んだりした。素晴らしい時間だった。
 
 
帰りの京阪本線の車内で乗り合わせた小学校1年生の集団(遠足だったらしい)に(そこにたどり着くまではいろいろあったのだが)「おにいちゃんは、どこいくん」と聞かれて「これからトーキョーに帰るんだよ」と言ったとき、僕は言いようのない気持ちに包まれていた。職業病、というわけでもなかったが下車するまでの間、僕は駅に止まるたびに子どもたちがドアに手を挟まれないかに気を配っていた。車内では同様に引率の先生たちが等間隔に配置についてピンと張った空気を出していた。子どもたちはおとなしく座っているように見えてその所作の一つ一つは好き勝手でカオスそのものだった。小学校が始まってひと月もたっていないわけでそりゃそうだよなと思った。僕から一番離れたところでは先生が優先席の説明を子どもたちにしていて、僕に一番近いところでは男の子と女の子がひそひそ話をしていた。
 
 
とにかく行って良かった。誰でもない時間を過ごせたことは何ものにも代えがたい。
 
 
分かったことは、知らない街に行くという意味で考えれば、例えば最寄りから2駅先の街を歩くことも、京都の街を歩くことも何も変わらないということだった。それはとても素晴らしいことだ。