2014年8月7日の断片日記

▼絵画の知識はさっぱりだが、それでも好きな絵というのはいくつかある。最近はターナーの『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』を気に入って毎日見ている。僕が僕を他と区別しているときに目に見えているものはフィジカルコントロールがきいている範囲の内外という「線」であって、それはたとえば輪郭線などではないのだ。僕の世界にあるあれら・それら・彼らは明確な輪郭など一つも持っていないが色彩と帯たる空気で他と重なりあったり離れたりしてそこにいる。


▼僕がおそらく僕であると認識できるのがフィジカルコントロールの範疇のみ、であるならば、操作不能であるところの僕以外のあれら・それら・彼らが、あれでありそれであり彼であることを認識するための手だてを持たなければいけないという話。他の人はどうかしらないが、僕は前述のようなものをものさしの一つとしている。


ターナーのその作品は、そのことを僕によく教えてくれている。ただこれがたとえばその後の印象派の絵画群までいくとなんかちょっと違うかなと思う。あくまで、『雨、蒸気~』に魅入られてるんだと思う。