2015年11月7日の断片日記

▼ようやく少しだけましになってきた体調の朝は君からの着信で幕を開けて。サンキュー、目覚ましをかけ忘れていたよとひとりごち、ネクタイの結び目に不満を抱きながら仕事へ向かう。気温はまだ高い。もう少し寒くなってもらわないとね。でもそのときにまた身体を壊さないようにしないといけないな、とこのひとつきに飲んだ錠剤とドリンク、はった冷却シート、一気にできたニキビたちを頭で数え上げながら思った。まずは今度こそしっかり治さないと。休みなんかろくになくったって、ちゃんとしないと。おとななんだから。
 
 
▼どうにも優れなくて、それだけが原因じゃないけどなんだか会いたくないなと思いながら意地になって会った日に、「なんか楽しいことないかなあ。こう、うわあってなっちゃうようなさ」と確かに君はそう言っていて、かなりシンプルに表現するならば、たぶんそういうことなのかもしれない。楽しいこと、確かにないものね。いつからだろうね。なんか楽しいことないかな、て思わなくなったのは。いいことないかな、わるいことないといいな、そればっかりで。そういうわけでその言葉を聞いて嬉しくなった僕はくすくす笑い出したのだけれども、折からの風邪のせいでそれはすぐに咳きこみに変わっていった。
  
 
▼そのまた別の日。その日の朝は、その日だけはずいぶんと冷え込んでいて、まだぎこちなさの残るひんやりさに覆われた洗面台の前でそのいびつさにいつも以上にぼさっとしてしまっていた。あたたかいのが赤でつめたいのが青という役割分担がある一方で、トイレのマークでは赤が女性、青が男性を表すことが多くって、温度だけでいうなら君にいれあげている僕が赤で、君は青であるに違いないのに、性別的なイメージで分けたら色彩が逆転するのってなんだかおかしいね。という話をしたくなっていた。何か言い返されたら、でも人力で温度を調節するときは、お湯が多めの方がうまくいくだろって言おうと考えていた。でもそんな話、できるはずがないので、かわりに寒いねと言った。君は「でも、電車の中は暑いよ」と言った。そのとおりだと思いながら歯を磨いていた。
 
 
▼今日に視線を戻して闇夜の折、君に頼まれたことをいそいそとこなしていたら、右ひじで6回、規則的に小突かれる。「なあに」と問うても、その声は空間で行き場を失ってそのうち消えてしまった。振り返り、何を見るでもなく伏し目な君の横顔を見る。ときどき僕は、僕が君のことを記すように君に僕を記してほしいという誘惑にかられる。それをフェティッシュな何かだとずっと思っていたのだけれども、そうではなくて、要するに君になって世界を見てみたいということの表れなのかもしれないなとその時考えたのだった。この人には、いったい世界がどういう風に見えているのだろう。何年も一緒にいたり離れたりしても分からないことがたくさんあって、それはどうやっても、どう手を尽くしてもこの人の中には入り込めないという感覚が根っこにあるせいなのではないか。もちろん人間なんてみんな他人なんだから、分かることなんて何もないんだという文脈とはまた別のところの話だ。もっともっと、ナイーヴでセンシティブなところの。きっと君になって世界が見られれば、君が実在するかどうかもわかるだろう。まあでもそれは瑣末な問題で、君のことがずっと分からなくて、ただただ君に興味が尽きないというこの事実が僕を生きながらえさせる大きな要因なのだろうという再確認。僕は本当に瞬間へと導かれているのだろうか。その可能性を思うことは、すべてが崩壊する美しさと似ているのだった。