2016年4月16日の日記

▼個人の感傷のために語られるようなことではない、というのは百も承知の上で。
 
 
▼九州で大きな地震があった。震度7というその文字列にすぐにあの日に記憶が引き戻され、胸が痛んだ。正確には引き戻すも何も常に傍らにあったのだけれども。普段はそれらにまつわる不安を出したりひっこめたりしながら態度を決めかねるようにして日々を行くわけだけれども、きっかけ次第ではこうも陰欝とした気持ちになってしまうのだ。祈りは当事者にとって無力なのは理解している(ちょうどそれは葬儀が死者ではなく残されたもののためにあるのと同じだ)つもりだが、今はひとまず一秒でも早く安心が戻ることを祈り、気持ちばかりの募金をしよう。あとは、僕が当時それで救われたように、日常をただ行こうと思う。あの時多くの人が無自覚に発してくれた、あなたがたが帰る日常がここにあるのだというメッセージを今度は僕が誰かに示すために。
 
 
▼だが、どうしても「その後」のことを考えてしまう。3.11のことにしても、今や十数万もにのぼることとなった全壊・流失件数の中の1件でしかなくなってしまったその「被害」とやらは、実際には数字には表れず誰も記録をしていない「その後」の方が、よほど大きな問題として今も僕に、そして家族にのしかかっている。そして僕は、直接かの地にいたわけではないが無関係でもない、というちゅうぶらりんな存在であるが故の苦しみも引き受けた。そのような人は多数いるし、今回の惨状を前に、きっとそのような人がまた出るのだろうと思っている。今もリアルタイムで増え続けている死傷者の数や倒壊の件数を追いながら、この1人1人に人生があり、この1件1件に物語があるのだと思うと暗く重い気持ちになる。僕は…僕の人生はほとんど語ることのない人生だとそう思っている。これまでも、これからも。でもそれは他人に対して、というだけであって自分にとっては少なくともこうして語ることで異化しなければ歩みを進められない程度にはいろいろあったようなのだ。家がなくなったことや通っていた学校がなくなったことに、具体的な思い出や思い入れがほとんどないのにもかかわらず感傷的な思いを抱くなんて自分でも信じられないが、とにかく生活の痕跡はあれど人生の痕跡がほとんど見当たらないような僕でさえそうなのだ、大多数の人々にとってそれは耐えがたい消失となるだろう。あるのにない、のはとても辛いことだ。
 
 
NHKをつけっ放しで床につく。緊急地震速報で何度も目が覚める。あの時と同じだ。あの時以来、強迫観念に駆られて津波の映像を繰り返し見ては体調を崩すということが何度もあった。朝、仕事の支度をする、顔を洗って鏡に映るその目の周りにはひどい血行不良の跡が。これもあの時と同じだ。僕は回帰の仕方を少しだけ違えてしまって、呪いを引き受けてしまったのだなと思った。たったこれだけの吐露を書き連ねるのに3日近く費やしている時点で察せられる。