2016年4月21日の日記

▼昼に。遂に訊かれてしまったので答えたくはなかったことを答えることになってしまっていた。自分の口から漏れ出す言葉が、その行為が自分の意志ではないことを殊更に主張するかのような声色になってしまうのを、止めようがなかったし、また止めようともしなかった。相手がそれに気づいていたかは定かではなかったが、言葉を口にすればするほど、本来考えていることや言おうとしていること、あるいは僕自身からどんどんと離れていくようだった。このまま僕から切り離されていったならば言葉は言葉そのものになるのだろうか。その時僕は何になっているのだろう。
 
 
▼夜、邂逅の折。まるで心配事なんか何もないかのような振る舞い。時間を追うごとに強くなる雨に気づく暇もなく交わされる2人の声。あらゆることが、夢だと思う。僕の現実というものを幾重にも折り重なった夢が覆っている。日々を過ぎるたびにその夢からひとつひとつ醒めていくかのようだ。だが、僕は人生を歩むことを決めている…一方で夢の外側から生活が大声で呼んでいる…それでも呼んでいるのは誰の生活か。僕の生活である。その声はたとえ大きくても神経質なトーンを持っており、何よりも、弱々しい。耳をふさぐまでもない。聞こえないふりをして、人生を歩んでいく。瞬間は人生と生活のどちら側にあるのだろう。どちらでもないところにありそうだ。ならば夢から醒める方向にも歩まねばならぬということなのだろうか。君に問おうか…だがその前に、君がそうしてくれたように今度は僕が希望の言葉を伝えよう。こんな簡単なことを、僕はいつも忘れてしまう。見ればそうなるのに、見落としてしまう。見ることをとても大事に考えているはずなのに。そういうことを思い出させてくれる君は、まったく僕にとってうってつけの存在だ。外に出る頃には雨脚は大分強くなっていて、僕は虚空の闇をぼんやりと見つめる。君はこれぐらいなら歩けるわね、と言ってそのまま闇の中へ歩を進め、一度も振り返ることなくさよなら、と言った。誰に言っているんだろうと思いながら突然投げ出された僕はそのまま踵を返した。たとえどんな「またね」の時であっても、いつも同じような気分になるような気がした。それすらも夢かもしれないと思い、傘を差した。僕は濡れるのが嫌いで、傘の下から入り込んでくる不躾な風を憎んでさえいるのだった。