2016年5月12日の日記

▼来客で眼を覚ました今日は、よく晴れた1日だった。日焼けをしたいと少し前から思っていて、でもそれは人工的なそれではなくてあくまで自然の光で焼きたいのであった。もともとあまり焼けない方であったのだが、意識的に日向へ日向へと移動をし続けているうちに少しずつ赤みを帯びてきた。健康的な肉体を…。(誤用・誤訳の方の)健全な精神は健全な肉体に宿るという無責任な言い方が割と好きなのだけれども、健全に病的な精神を宿すためには健全な肉体でなければ具合が悪いだろうというのは確かに感じるのだ。人間とは精神である…。
 
 
▼仕事と勉強の両立が難しいなと思いながらいろんなものが流されるがままになってしまっていて、あまりいい気分がしていなかったのだが、焼こうと思って焼けてきている肌を鏡にうつしながら、自分のコントロールがきくというのはよいものだと感じたので記すにいたった。いつ死ぬか分からないのだから、なるべく日々記すようにして、いつ死んだのかを行間からでも感じられるようにした方がよいのではないかと考えた帰り道を、嘘みたいに大きな月が照らしていた。明らかに大きく、近かった。それは何となくの不安を抱かせるには十分すぎるほどの違和感を喚起させたが、反対側の空には冬のような輝き方をした星がいくつかあって、このチグハグさはこれはこれで均衡がとれているのかもしれないと思った。日中あんなに暑かったのに、夜はしっかり涼しくて、ああ5月だなあと安心する。これもまた均衡であり均整。夜道は緑がよく見えなくて勿体ないなと思うのだけれども、明日も晴れるようだからそれを楽しみにしながら眠ろうと思いなおし、部屋のドアを開けたのだった。