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2016年9月1日の日記

▼夏を振り返る。断片的に浮かんだことを、記していく。梅雨があけて快晴がやってきて、それでもそれは長く続いた印象はなかった。確かに連日暑かった記憶はあるのだけれども、どういうわけか去年よりは過ごしやすかったように思えた。夏に強くなったとは考えにくい(そうなる要素がない)ので、本当に過ごしやすかったのか、あるいは僕が鈍感になっただけなのだろう。


▼ひいきのチームの調子がすこぶるよくて、そのことはどうしようもない毎日に花を添えていた。読書がパタリとやんだ(やんでいる)。それはその時間を勉強にあてているからなのだった。3日間あった夏休みはすべて図書館に開館から閉館まで通いつめていた。1日12時間以上も勉強する力が残っていたことは嬉しかったし、分かることやできることが増えていくのは楽しかった。難しい課題などが出てきても、これもいつか解決するのだろうとほくそえんだ。あの子たちにこの感覚を与えてあげなければならないのだなと改めて思った。
 
 
▼働きづめながら、それでもコソコソと空を見る時間をつくっていた。そのうちに空ではなくて雲を見るのが楽しみになっていた。様々な形があるそれを毎日のように見ていると、だんだんと好みとそうではない形状がでてきた。それぞれを描写する言葉を持たないことをその時は悔やんだりもしたが、もしそれが今日ならば、自分で自分を呪う必要もなかろうと考えるだろう。どうせ不幸は向こうからやってくる。幸福だってそうだろう。
 
 
▼年に1本は映画館に観に行こうとぼんやり決めていて、2013年は『ホーリー・モーターズ』を、14年は『ウィズネイルと僕』、昨年は『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を観た。今年はどうしようかと思っていたら、某怪獣映画が大絶賛で迎えられていたので、はてどんなもんかしらと予告などを観たら、それだけでもう無理だった。僅かばかりの映像でさえもただひたすらに怖かった。それは完全に3.11だった。しばらくしてから増田の方に被災した人が映画の感想として熱量の高い歓喜の文を記していて、嗚呼その境地までいけた人もいるのか、と救済を思った。一方で自分には劇場に向かうことすら無理だったので、それこそがそこに個があり、また個があったことの証左なのだなと併せて思ったのだった。僕にはまだ昇華するだけの時間が流れていなかった。それでもいつか、観てみたいと考えている。
 
 
▼台風が何度かやってきた。毎日天気予報をとても気にしていた。そのことについて、少しだけ反省をしている。バランスを取るように、空をまた見ようと思っている。疲れていると、「見ること」を忘れがちになる。