読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2016年12月20日の断片日記

▼その嘘は気遣いなのか否か。なんであれ、今の僕には結果がすべてだ。朝の透明な空気を吸いながら、顔をつくって予定外の電車に乗り込む。定期は昨日の上着の中。久しぶりの切符だ。静電気に気をつけながら改札を通り抜ける。階段をのぼった記憶なんかないのに、気づけばホームに並んでいる。いつもの3号車。スマホを覗き込むお嬢さんにも、ニットを被った男の子にも、向かいのホームの奥様にも、それぞれの生活があり人生がある。悩みもあれば、幸せもある。それらはその人の持ち物という言葉を心の中で反芻する。今の僕は酷い色の持ち物で両手がふさがってしまっている。脚と背中に力を入れる。電車が来る。


▼窓の景色も、考えていたことも、何もかも覚えていない。到着を告げるアナウンスだけが急に耳に飛び込む。すいませんすいませんと人込みをかき分けるが、声が出ていたのかどうか。出口に向かう僕を明らかに認識しているはずの人の群れが、僕にとっての出口から入り込んでくる。ほんの一瞬、人生だなということがよぎる。これは僕の人生であり、かれらの人生でもある。危険な一瞬だと思う。改札を抜けて歩みを進める。お祝い事や、けんかした時、もちろん何でもない時も、だいたいこの街のあの店で洋菓子を買って君のもとへ向かったのだった。君は約束をほごにして所在不明なことも多々あった。かわりに君の妹と話し込んだこともあった。僕の方が何かをあげたことを忘れることもあれば、君の方がもらったことを忘れていることもあった。後者の方が多かった。そのたびに君らしいと思った。まだ仲直りしていないのにわざわざ僕があげたマフラーをまいた状態でやってきて怒ったり泣いたりしていたこともあった。その頓着のなさとミューズ的ふるまいは、まったく君だった。


▼店に着く。スイッチを入れる。過剰に良い客を演じる。そうそうこの感覚。愉快だ。いつだって詰めてもらうマカロンの味は自分で選んでいた。少し思案して、初めて店員にまかせてみる。僕には意味が必要だった。今はこんなことしかできないが、それが僕にとっての、僕だけにとっての意味だった。それはとても重要なことだ。演出がうまくいったのか、大変丁寧なお見送りを受ける。感じのいい対応には感じの良さを返報したくなる。君にそれがあればと考えて笑う。それがないから君なのだった。



▼夜になる。こんなことになる前の君との最後の約束と、惜別の品と手紙と。できることはこれですべてだ。これですべてか?やりたいこと、できること、やるべきことのバランスを考える。今の頭で下した決断なんて、どう考えたってまともじゃない。まともじゃないけど、このままいったらどうせ僕はまともじゃない。だから、これで納得する。カバンに詰める。冬に出る。坂を登る。視界が曇る。道に迷う。何度も通った道なのに。それも意味だと思った。「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように にぎやかな場所で かかり続ける音楽に 僕はずっと耳をかたむけている」が聴こえてくる。出来過ぎだと思う。うまくいくべきはそこではないだろう。着く。中にいるとのメッセージ。顔を見せる気はないらしい。全てを玄関先に置く。その旨を伝える。感謝の文字。嘘つけ。そもそも中にいないだろう。何も信じられない。何も信じられないなら、自分も信じるな。それはもっともなことだ、僕。こんな状況でよくそれを導き出した。


▼Life is coming back! なんて素敵なリフレインなんだろう。自分の手に人生が戻ってくる。そのことがこんなに逆説的に響くだなんて。それでも全てをやりきったであろうの僕の身体は軽かった。その時の彼には、翌日からが「生みの苦しみ」だったなんてことは知る由もなく。デッキの上。コーヒーショップの前。朝にポインセチアを見たその場所の夕刻。取り戻すべき僕の人生のあちこちが、これまでとの歪みを生んでいる。やめてくれよな、と思う。切ないだけなら無邪気でいいけれど、というやつだ。エスカレーターで運ばれながら考える。僕が今まさに手にせんとしている人生とは。取り戻すべき人生とは。生活しかない僕の中で、君はそう、確かに人生だった。