2016年12月21日の断片日記

▼役割の抜け殻があちこちにあるのだった。あの人からの4年前の手紙を読み返しながら(我ながらよくとっておいたと思う)、ここで言及されている人物はいったい誰なんだ、と思う。僕は常に何らかの役割を演じて、それとして適応することで生存してきた。僕は僕自身を演じることだってあった。それでよかった。本当の自分なんてものはないのだと今も思う。いってみればどの役割だって本当の自分であるし、またどれも自分ではない。それは役割でしかない。些細なきっかけが…あるいはその些細なきっかけの集積が、役割の選択を掛け違えさせる。そういうことなのだろう。掛け違えて気付いたが、僕の周りには役割の抜け殻が相当数、乱雑に脱ぎ散らかされている。
 
 
▼ならばそのうちの1つを、どうせなら徹底的に着古してやろうというようなことを考えて過ごす。過剰だ、と思う。でも極端には極端をぶつけるということのみが、今の僕に許された手段のように思う。やさしさが年をとるのはずっと知っていたけれど、それ以外も少しずつ衰えていくのだね。それでもなお、見ることがすべてだと思う。本当に大事にしなければならなかったのは何だったのか、今まで見えていなかったようだ。そしてそれは今も。だから…役割たちに残り香のように漂っている尊厳をまとって、今は何とか立ち続けるしかない。