2016年、あるいはこの8年間の終わりに寄せて

▼おかしなペースで働きづめた後に、急に年末だからといって市井の中に放り込まれても、どうふるまえばいいかわからないじゃないかということを考えながら朝の街に出る。行きかう人々の表情を情報として処理する。つながりの顔だ。年末ってこんなんだったな、そういえば。まあ今の僕にはどうであれ、あまり関係のない話だ。
 
 
▼電車に乗って約束の…正確には約束だった場所に向かう。この前のそれが最後だとばかり思っていたが、スケジュールに1つだけ残っていた。それでも行くつもりはなかったのだが、お姉ちゃんが行ってみようかなって言ってたよ、の言葉が届けられたそのときに、向かうことは決まっていた。だが、本当にその言葉は必要だったのだろうかとも思うのだった。真実がどうであれ、きっと僕はあの日以前の約束を全て履行しようとするに違いないのだ。


▼乗り換えの列に吸い込まれていく。車内は予想より少し混んでいる。キェルケゴールが、父の罪とそれが自分の中に流れ続けている事実を突き付けられるいわゆる「大地震」を経験したのが25とか28のあたりだったはずだ。僕にとっての大地震はこれだったのだなと思う。あの日、僕から抜け出し、僕の背後から部屋全体をじっと見つめ続けたあの黒い塊。僕はそれが大理石のように蒼ざめた天使であればよいと思っていたようなのだけれども、なんのことはない、それはただの黒い塊だった。あのような醜く恐ろしいものを僕は育てていたのだ。なんという罪だろうか。


▼乗客の数は乗り換えの直後がピークで、どんどん人が減っていった。目的とする駅で扉が開き、降りる。ほんの一瞬だけもう一度乗り込むことを考える。というか、僕の気持と僕の身体がそれぞれ別のタイミングで降りたような感じがして、迷いが生まれていた。呼吸を整えて、階段を下り、改札を抜ける。どうせすぐ暮れてしまう青空に目をやりながらあの店へ向かう。何度となく通った場所だ。今日はまた驚くほど閑散としている。年末はこんなもんですよと笑う店主に長くなる可能性を告げる。ごゆっくり、とだけ返される。いつものアルバイトの子たちも今日はいない。素晴らしいことだ。そういう時期なのだ。そうであるべき、時期。


▼連絡先はもうなく(あったとしてもしなかっただろう)、ふとローティーンの頃のガールフレンドと約束して電話の前で待ってもらっていた日々のことを思い出した。最初のデートで行った場所、買ったもの。彼女の弟の声。どうして思い出したのかはともかく、思い出したことのない記憶もその中に含まれていた。結局9時間後、店を後にした。持ってきた読み物も、仕事やそうでない書き物も全部終えてしまってからも数時間経っていた。君は来なかった。当然だ。僕はそういう人間だし、君もそういう人間なのだ。ずっとそうだった。そういう意味では何も変わっていないのだなと思った。


▼来年もよろしく、という店主の言葉を思い出しながら帰りの電車。来年も。そう、年末だったのだ。いつもは暦からの解放なんてことを言っているののに、公私ともにひどいこんな時だけ年が明けたら何もかもが好転するようなことがないだろうかと考えてしまう。本当にどうしようもないなと思う。これが30日。31日は朝から高熱。何かが好転するにはあまりに短すぎる時間が流れて、2017年の生活が始まる。