2017年1月1日の断片日記

▼朝、目が覚めて熱がまだ奥の方に残っていることを確認し、体を無理やり起こす。とびきりの空に一瞥をくれた後、あたたかい飲み物を飲みながらぼんやりと今年について考えた。曰く、もっと空を見ようということと、それ以前にもっともっと見るということに意識的になろうということだった。それは1年前もまったく同じことを考えていたはずだった。つまり去年はできていなかったということなのだろうか。その評価に一定の正しさはありそうだが、それよりも年末の印象のせいということもあるだろう。そもそも…優しさ、尊厳、愛、神、瞬間、永遠…見ること。僕の「人生」の側にあるそれらの言葉は、なにも今年がどうだとか去年がなんだとかそういう話ではないはずだった。「Life is coming back!」あの声が再び聴こえてくる(それはいつでも聴こえている)。敗北主義は…美しき終焉は一度頓挫してしまった。ならば、人生をこの手に取り戻してまたその終わりを目指せばよいではないか。そう思う頃にはマグカップは冷え切っていた。これはこの部屋に越して来た時にそろえたものだ。今なら選ばないであろうプリントが施されていて、見るたびに変な顔になる。
 
 
▼全体としては悪い年ではなかったはずなのだ。いつもよりさらに西の方に旅をしたときのことをたびたび思い出す。何をしたわけでなく(それはいつものことなのだが)、トラブルにもいろいろ見舞われたりもしたのだが、あのときに浴びた日差しと夜のにおい、吸った空気。そして海沿いの街に行けたという事実。それらはとてもとても大切なことだったのだから。
 
 
▼憂うことなく静謐で、飽きることない優しさの、そんな時間の多い日々であればと思う。それが取り戻すであろう人生だったならば、もうこれ以上何を望むでもないはずだ。