2017年1月22日の断片日記

▼控え目な花たちはどうなったのだろう。弱くか細い声は、そのまま消えてしまった。それでも周波数を変えてそのお知らせは、夢でも現実でも夢みたいな現実でも、何度も聞いたあの声で届けられた。
 
 
▼僕はずっと見ることが最も大切なことだと言ってきて、実際その通りに見ていたのだった。見ればそうなる―そのことの真実性と恐怖を受け止めながら、じっくりと目を凝らして見続けていたのだ。君のことも僕のこともわたしの世界のことも見ていた。そのつもりだった。
 
 
▼見たいものしか見ていないことと見ればそうなることは全然違うものなのに、すごく近くにある。何度も取り違えそうになるし、取り違えても気づかないケースも多々ある。それでもこれまではわたしの世界の輪郭が多少歪む程度で被害は済んでいた。その程度の慎重さは確かに有していた。それは確かだったのだけれども。
 
 
▼君の非実在性を思いながら記述することは、ときにまやかしの免罪符として機能していなかったか。そう、単純な話で、僕には君が全然見えていなかったのだ。あの黒い塊は、ほんの切れ端でしかなかった。むしろ切れ端がぼたぼたと周囲に落ちてくるほどにそれは膨れ上がり、僕を内部からむしばみ、支配していたのだった。本当は優しさの器をもっと深くすることができたはずなのに、臆病さと、あるいは臆病さと優しさを混同してしまうことの恐怖から足がすくみ、手が震え、作業をやめてしまっていたのかもしれない。容量いっぱいになった器に強引にため続けた何かが腐り始め、その腐臭に誘われてあの黒い塊はやってきた。病気と同じだ。静かに、ひたひたと。今になって思えば、その足取りは手に取るように分かるのに。
 
 
▼今の僕がすべきことは、待つことなのだ。常々もう少し他人を信じるべきだとはどこかで思っていたのだけれども、信用して面倒事に巻き込まれるくらいなら、自分でコントロールできる範囲でつつましく生活したいというのが勝って、そういう日々を歩んでいた。もちろんそれだと社会生活を送る上で齟齬というのが生じるわけで、それを回避する手段が「役割」という概念だった。でもそれではもう、対処がきかない事態なのだ。人間と人間というフェーズに進まなければならない。そのためには、信じて待つこと。そしてそこにただあること。あると思わせること。
 
 
▼僕は君を見ることから始めたい。そのためには待たねばならない。待ちながら、優しさの器をもっと上等なものに変えておこう。しょうがないな、の季節を思い出そう。僕はこれまでいろんなものに許されてきた。今度は、僕が許し、赦す番なのだ。帰宅して、神に祈る。これまでは祈りそのものが目的だった。いや、そう思っていたけれど本当はとうの昔から祈りではなく「願い」だったのかもしれない。神様、今夜流したあの大量の涙と涙が僕らの全てです。彼女が、正しい選択をできますように。僕に、彼女の居場所をつくる力が付きますように。僕は僕の罪を背負っていく。その汚れた手を少しでもきれいにして、その場をつくってあげたい。待つ間にしなければならないことはたくさんあるんだ。もっと、強くなりたい。
 


私には 幸せが似合わないけれど
あなたには 幸せがとても似合うけれど
そんな二人がまだ 一緒にいても良いよね
陽のあたる場所にいてもいいよね
 
もし添いとげる ゆっくり奏でる時を過ごせたら
私は決して あなたよりも先には死なない