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2017年3月3日の断片日記

▼「僕の」季節の変わり目である。でも、変わり目であるというのはおごった考えであって、本当は終わり目であるのかもしれないなどと考える。もうずっと、最後の日々を過ごしている。
 

▼というようなことが頭をもたげていたのが2月の下旬で、気がつけば暦は既に弥生の頃。風は強く、空はきまぐれ。恥ずかしがり屋の、でも春はすぐそこ。昨年の暮れから色んな事が起こり過ぎたのだ、と僕のだったのに一度も使わず君のものになってしまったひざかけに語りかける。変わり目、終わり目。うん、この季節は終わってしまったのかもしれないね。でもそれは分からない。いつだってそれは終わりを迎えたそのずっと後に、「ああ、終わっていたのだな」と気づくものだから。


▼正確には逢瀬の刻はまだ残されていて、でもそれでさよならになってしまう可能性がとても高いのだった。君の荷物が残されている部屋の時計はまだ止まったままで、止めたままでいることに意味があると思っているからそのままにしている。君の荷物には一切触れずに部屋の片づけを進める。本当は一気にやってしまうようなたちのくせに、まるで終わらせる気がないかのように(でも確かにその気はあるのだ)少しずつしまったり、捨てたりしていく。僕のものだけを。そこにあるのはやはり意味だ、と思う。意味を与えたがるのは悪い癖だが、それでも意味があればそれは「残る」のだ。意味を十分に与えてやりさえすれば。君の荷物に一瞥をくれながら、このモノ達もまったく君だなとひとりごちる。むしろ僕なのかもしれないなという可能性をはらみながら。


▼今のところ最後に会った朝の前の前の夜の話。「さよならって言うとさ、もう2度と会えないみたいじゃない?でもByeとか、ばいばいとか、そういう言い方だとまた会おうね感があると思うの」僕の指定席に座りながら、君が話している。でも「またね」だとまた会おうね感がなくって、むしろさよならに近いよねという個人の感想を飲み込みながら相槌を打つ。「それじゃあ僕とのその時には、ばいばいをしようか」「まあそこは、さよなら、ですねえ」立ち上がり、くるりと向き直る。きれいだ。それでも君は、本当にさよならと言いながら(あるいはそれすら言わずに)いなくなってしまうような人なのだった。
 
 
▼今のところ最後に会った朝の前の夜の話。突然20年近く前の大ヒット曲を口ずさみながら書き物をする君を見る。その口から聞くのは初めてだった。本当に、分からない人だ。you're always gonna...「それだって、君の気持ち一つだろう」「そうだよ。だからだよ」
 
 
▼今のところ最後に会った朝の話はあんまりない。「だいじょうぶ?」「だいじょうぶ」それだけだった。僕を置き去りにして改札を抜けたすぐ後に、画面に示されるは君からのだいじょうぶそうにもない言葉。でもそれはやはり匂いだけで、あっという間に君は行ってしまったのだった。余りに頼りのない、逢瀬の契りだけを残して。


▼その夜、友人と久しぶりに酒を呑んだ。「男の別れっていうのはさ、いつだって美しいのよ」聞くたび耳に心地よい声だ、と思う。ぬるくなった酒を黙って呑み続ける。「でも俺は好かんね、そういうの」僕はそれを聞いてうなずきかけ、曖昧に笑った。彼は、僕には幸せになってほしいと言ってくれた人だった。朝方に身体を寒風でいじめながら帰路に着く。痛む頭と視界の中で、僕にはまだ幸せになる準備ができていないのだということを考えていた。
 
 
▼そう、酒を呑んだのだ。おせんべいも食べて、そうやって少しずつ慎重に、かけた願を解いていく。次は読み物だ、でもまずはリハビリだよねと10年ほど前から読もう読もうと思ってそのままにしていた漫画を既刊分、一気に読む。そこにはやっぱり僕が確かにいて、読んで、泣いて、笑って、まいった、と思った。この2か月の間に言った覚えのある言葉が、見た覚えのある光景が、そこにはたくさんあった。読む機会なんてゴロゴロあったのに、僕が言い・見終えるのを待っていたかのようなタイミング。そう、魔法はまだ、解けてはいない―。


▼でも、こんなこと、実際には何一つ起きていないのだ。ずっとずっと昔から僕の記憶の中に改変された(そしてそれはされ続ける)形でしまわれているものでしかない。だからこそ、ふとよみがえる記憶というものたちが、「なぜしまわれていたのか」ということを考えることがある。以前はむしろ「なぜ今よみがえったのか」ばかりを考えていた。それらは同じことのような気もするし、全然違うことのようにも思える。今それを考えるには、フィジカルが弱り過ぎている。もう少しだけ辛抱して、哀しみを思い出せるまで回復してから考えよう。とりあえず今夜は、窓の向こうのトラックが吐き出す音たちを雨音と聞き間違えながら眠ろう。なんだかとても疲れている。おやすみなさい。おやすみ。なさい。