2017年5月16日の断片日記

▼そして誰もいなくなってから、大森が「子供じゃないもん17」で教師に(あるいは恋に)恋する十代に扮しながら「傷ついてよ…」と言っていた意味がすとんと腑に落ちたのだった。「傷つけたい」という欲求と「傷ついてよ」という吐露の間には何光年もの距離が横たわっている。きっと誰かが「傷ついてよ」というとき、その誰かは相手にとことん傷つけられた後で、それでも相手を認めたい、あるいは認められたいというような愛憎にも似た感情を抱いているのだろう。相手であるところの彼がそれに気づいたとき、きっと彼は深く深く傷つくのだろう。自分のしてきたことに、自分の無頓着さに、自分の自己評価の低さに、憤りを覚えることもあるかもしれない。彼は自分を責めるだろう。では彼女はその姿を見るか?答えはノーだ。思わず口から漏れ出した「傷ついてよ」というその切なる願い(そしてそれは真に望まれたものではない)が人知れず叶っていることを思うことすらしないだろう。哀しいすれ違いだ。美しくはない。というか醜悪ですらある。それも哀しいし、悲しい。
 
 
▼現在おかれている状況のひどさは、(いまとなっては)幸運で幸福であった日々―それだって与えられるだけではなく自分で創って守っていたところがあると言ってもよいとは思うのだが―を取り上げられたということだけに起因しているのではない。自らの選択の積み重ねがもたらしたものでもあるのだ。僕が袖を通していた「役割」に接した人々には、そこから奪ってしまったものも確かにありつつも与えてあげられたものもあったようなのだった。だが自分のこととなると、ひどくないがしろにしてその一方で可愛がり過ぎたがために、こうして方々をそして自分自身を傷だらけにしてしまっている。もっともっと前に気づいておかなければいけないことだったのに。
 
 
▼新しい場所への道のりでは乗り換えの回数が増えていて、その増えた路線と折り合いが悪くてあまり気分がよくない。加えて、新しい街そのものの雑踏感にもどうにも馴染めず、1日中うんざりしていて、活字にも集中できていないのだった。その反動なのか君の街のことや、僕の街のことをよく考えるようになった。部屋の最寄駅まで運ばれる夜に「帰ってきたな」と思うことが増えた。その一方で、ときどきこの街からも拒絶されている感覚に陥ることがある。改札をくぐりながら、この街における僕の痕跡である誰かを探してしまうからなのだろう。そしてそれには頼んでもいないものばかりがやってきて、行ってほしくないものばかりがどこかへ行ったり、逝ってしまったりしていることとも関連しているのかもしれない。
 
 
▼『ワンダフルワールドエンド』で実存が「役名」ではなく「本名」で呼ばれたことで涙したのはこんなことになる少し前の話だけど、感想を書ききったのはこんなことになった後の話。そのせいでエントリの最後に「君が、僕の名前も本当の名前で呼んでくれたら良かったのに」とか書いてしまったのだった。でも実際にはその願いを抱くことそれ事態がよくないことなのではないだろうかという思いがある。そんなことはないよ、と言い聞かせてはいるが、それを信じきるためにはきっと…やはり尊厳が必要なのだ。