重ねられた生活 170617~0623

0617(Sat)

うまれた日はだいたいクソみたいな日が多く、31回目のそれはその中でもまれに見るほどの酷さだった。でもそういうのって、暦に縛られてるからそうだというだけで、きっとどの日も同じくらいクソなはず。それでも生きて行かなければならない。
 
たとえば健康に過ごそうという当たり前の願いにもモチベーションが必要だという事実を前に、僕はいい年して自分で自分を律することすらできないのかと呆れてしまう。呆れることすら、自分しかしてやれない。のだね。
 
 

0618(Sun)

明らかに日曜の朝の電車というのは平日とは異質で、世の中には1週間というものがちゃんと存在していて、そのカレンダーの通りに日々は流れているのだということを感じる。そしてそこから外れるような日々も確かにあって、もちろんそれはまた別の暦に縛られているのだとは思うのだけれども、いずれにしてもそういうものは他人からはなかなか可視の状態になるものではない。いまは(というかずっと)そんな生活だから僕はそういうものも「見えないけれど存在しているのだよな」ということを折に触れて思い出すのだけれども、仮にこの先何かをきっかけに普通の暦に吸い込まれることがあったとしても、そういうところは忘れないようにいたいものだと思った。
 
それで、クタクタで終電。耳元でLightnin' Hopkinsが歌っていた。ブルーズを聴き始めたのは学生の頃で、当時は(今もそうかも)何を歌っているのかもギターのテクニックもよく分からなかった。でも、そのスタイルに宿ったソウルが僕に何かを思わせたのだった。そのことを思い出した。


Mojo Hand - Sam Lightnin' Hopkins (Live Accoustic)
 
 

0619(Mon)

昨日からの流れで今度はThe White Stripesを久しぶりに聴いている。僕のブルーズの入口になったのはThe Rolling Stonesだったけど、それよりももっと手前のところには彼らの存在があったように思う。制約の中の美として、音楽的な到達点は『Get Behind Me Satan』だと思うし、実際それがいちばんのフェイバリットなのだけれども、いつの時期の音楽であれ、あのメグのお世辞にもうまいとは言えないドラムと対照的ともいえる手練れさのあるジャックの鬼気迫るギターがあればそれだけで魔法にかけられた気持ちになるものだ。

帰りの電車で知り合いに会ってしまって、勉強があまり進まなかった。そのことはまあいいんだけど、相手も僕に会わなければ車内でしたかったことがあったのではないだろうかと考えてしまう。

0620(Tue)

朝からとんでもない暑さだった。うんざり。どうせ暑いなら、いっそ夏になってほしい。
 
仕事を明日の自分に押し付けて早めに職場を出る。あの花屋に滑り込み、花を買った。店員の陶酔加減が過剰で実に良かった。それでこそよき客の演じがいがあるというものである。
 
『ストレンジャー・シングス』を見終える。なんて正しくジュブナイル…!年齢のせいかやはり親の視点がどうにも涙腺にきてしまう。母親役のウィノナ・ライダーが素晴らしかった。そして子供たちがとにかく80年代顔でとんでもねえなと思った。時代設定、引用、そしてキャストと、エンタメとしてレベルが高かった。満足。
 
 

0621(Wed)

とんでもない暴風雨で、びしょぬれ。傘なんてさしていたら自分の身も周りの身も危ないってんで、されるがまま。雨天ってだけで気分が悪いのに、こんな目にあったんじゃくったくたになってしまう。そして終電。湿気。もう最悪だ。
 
 

0622(Thu)

仕事を終えて部屋に戻って、花の手入れをする。早くも元気がなくなり始めているのがある。こんなもんなのだろうかと思いつつ、明日、本で調べようと決める。
 
 

0623(Fri)

今日は仕事で1都2県にまたがって朝からあちこち移動しなければいけなかった。その合間に書店に寄り園芸コーナーをのぞいて花のことを調べるなど。ベランダガーデニング…ごくり。。
 
帰りの電車で深いため息。忙しい日が続く。日々をやり過ごすことで精いっぱいになってしまっているので何とか立て直したいところである。『月に囚われた男』を思い出す。人生はもとより、生活も収奪されてたまるかと車内の空を睨む。
 
 
髪を切った今週はここまで。