2017年7月22日と23日の断片日記

▼夜に、車道と歩道をふらふらと行ったり来たりしながら橋のある景色までくる。映画を観た後だった。湿気を含んだ夏の風を浴びながら川面に視線を預け、このままたどれば海につくだろうかと考える。ジョギング中の女の人が近づいてくる。それよりも遅い速度で、警察車両が巡回をしている。横浜駅まで出よう。そう思い立つ。
 
 
京急線から投げ出されて、むわっとした空気と人の動きを身体に入れる。まったくこの人たちはいったいどこから来てどこへ行くのか。みな楽しそうだし、満足げだ。電光掲示板を見上げる表情、誰かを待ちながらのSNS、友人と話しながらもどこかに明日のことを思い浮かべているしぐさ、そして恋人たちの風景。満たされている。それがこの街のこの時間を覆う熱の正体だ。ゆえに、空虚だとも思う。トーキョーを過信しているわけではないが、あの街の熱の性質は空洞が持つそれととてもよく似ている。空虚と空洞は異なる。空虚の熱を前に、僕は「この体温は僕とは無関係のものだ」と感じる。空洞の熱は「これは君には関係ないよ」と語りかけてくる。それでいて彼らは僕がそこを通るのを見ても素知らぬ顔だ。もちろん、どちらがいいというものでもない。なんだったら、僕はそのどちらをも嫌っている。
 
 
▼無が漂うフードコートを抜けて、明かりが少し落ちた書店にたどり着く。小一時間店内を見回ったあと、最果タヒの詩集を2冊買う。同い年であったことに驚く。外に出ると明らかに1時間前よりも空の黒がレベルを上げていて、おっかねえなあと思う。誰かがこぼしたビールの跡をかわしながら、酔いつぶれた女の子を視界の隅にとらえる。彼女は、そうしなければ何かを表明できないほどに内気が過ぎるのだろうか。いや、あまり考えたくないことではあるが、かわいそうな被害者であるのかもしれない。横で介抱している風の男はとんでもないやつである。あるいは、これも幸福や享楽の一つの姿なのだろうか。彼女の父親は愛娘のこの姿に何を思うのだろう。いや彼(会社では家族思いの優秀な上司として後輩からの信頼は厚かった)はすでに他界しているのかもしれない。今日がその命日で、それが彼女をそうさせたのかも。あるいはその父親というのはまったくろくでもない人なのかもしれない。そんなことを考えていた。
 
 
▼地下鉄に乗り込み、持ってきていた本を読み終えてから、こっそりとさっき買ったばかりの詩集を読み始める。『死んでしまう系のぼくらに』の第2編「夢やうつつ」で泣きそうになってあわてて本を閉じる。だれにもばれていないだろうか。周りを見渡せばみんなスマホか夢の中にいて、どうかそのままいてくれ、とそう思う。ふた駅やりすごしたあとに恐る恐るもう一度本を開く。

「わたしをすきなひとが、わたしに関係のないところで、わたしのこ
とをすきなまんまで、わたし以外のだれかにしあわせにしてもらえた
らいいのに。わたしのことをすきなまんまで。」

これはだめだ、と思ってまた閉じる。がたん、ごと、がた、がたん。と揺られながら、映画館を出た際に感じていたことを思い出す。何でもかんでも性差に還元するのはよくないけれど、それでも僕が直面しているこの寂しさと哀しさの味は、男にはどうしたって理解してもらえないのではないか。もちろんそれは、僕が女性の神聖性のようなもの(元始、女性は実に太陽であった…)を高く評価しすぎているせいもある。だがそれの出所というのは、2つの間にある明らかな生きづらさの差に由来するのであって…。現代はその性(その概念すらもはや疑わしさがあるのも理解はしている)にかかわらずもちろんみんな生き辛いけれども、それだって僕も「男」のはしくれ、男の方がまだいくらか生きやすさがあるのをわかっている。書ききることができなかった『TOKYO BLACK HOLE』に関するテキストの断片を、いつかの日記よろしく再度墓場から掘り起こしておく(その時とは別の部分だ)。

そもそも男性だって、女性だって、みんな生きづらい、そういう世の中だと思う。
でも、性に由来するものでだけでいえば、女性やあるいはLGBTの人に比べたら男性のそれなんてちっぽけなもんだと思う。もちろん痛みや悲しみは個人の持ち物ではある。けれどもその前提は抱いた上で、それでもなお「僕」は彼らや彼女らと比べて恵まれており、ずっと甘やかされている。そうであるならば、いやそうであるからこそ、今よりももっと本当の自由に近いところへ行って、せめてすべての希望たりうる存在にならなければいけないのではないか。そんな直観が僕に「男子たるもの、泣いてばかりもいられまい」なんてことを語らせたのだと、今になって思う。

 
 
▼それはそれで随分と傲慢な考えではないかねとも思う。乗り換え。改札を抜けながらその傲慢さを咀嚼して落ち着きを取り戻す。まばらな駅のホーム。5つあるベンチに一つ置きに座る見知らぬ者同士。向かいのホームに君に似た人を探す。もう一度本に視線を落とす。

遅くでいいから、愛してほしかった。わたしがしんでも、わたしが目
の前に永遠にあらわれなくても、愛してほしかった。どこかでラッパ
の音がする。きみのほほに風がたどりつく。そのとき、どこにもいな
い、知らないわたしのことを、ぎゅっとだきしめたくなるような、そ
んな心地に一生なって。愛はいらない、さみしくないよ。ただきみに、
わたしのせいでまっくろな孤独とさみしさを与えたい。

かれこれ1時間近くはこの1編を前に立ち往生している。それでもなお、時間をかけて一字一句飲み込んでは首肯する。ここに並ぶ言葉たちを内に蓄えながら僕はどこへ行こうとしているのだろう。だけどそれはとても些細なこと。大切なことは、いまこれを読み、何を思うかだ。
 
 
▼明けて翌日は気乗りしない約束を果たしに。前日の夜のことを思い出そうとしても、部屋についたあたりから記憶がいまいちはっきりしない。たぶん、詩を読んだことで昨日はもうおしまいだったのだろう。その言葉とそれによって呼び起された諸々についてぐるぐると考えていたのだったな、ということを思い出した頃には、僕の身体はすでに昨日とは逆の方の電車に乗り込んでいた。観た映画の話は、また今度。
 

死んでしまう系のぼくらに

死んでしまう系のぼくらに