重ねられた生活 20180614~0620

0614(Thu)

忙しすぎて気がどうにかなりそうだ。こんな生活、長く続くわけがない。
 
終電に乗る前に、わずかばかりの時間を恋人との通話に使う。これがなかったらどうなっていたんだろう。と同時に、誰が何を縛っているのかについては、常に自覚的でなければならないと、そう感じた。
 
電車の中でよいニュースをみた。
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これは本当によい作品なのだ。それがブランデッドムービーであれ、プロモーションであれ、とにかくよいものはよい。玉城ティナ玉城ティナになりたがる、それがそれになりたがりそれであることを引き受けようとするその姿をしっかり描ききっている。前も言ったなこれ。
 
 

0615(Fri)

終電を待つホームでの大勢の会話とそれをかき消すどころか一緒になって大騒ぎするような音量のアナウンスが遅延を告げるのを耳に入れながら、うんざりした気分に拍車をかけていく。まったく、なんてことだ。
 
最近駅で人にぶつかってしまうことが多くて、そのたびにちゃんと謝っているつもりではあるんだけど、わざとぶつかる人みたいに思われてないだろうかとひやひやする。疲労とストレスがかなりキテおり、そのせいでチューニングがずれてるというか、普段だったらよけられるはずのものへの反応が遅くなっているというか、とにかくそんな感じがする。僕からすると向こうが遅いように見えているのだけれども、きっと事実はその逆なのだろう。
 

Joy Orbisonとサックス奏者のBen Vinceの共作。最近お気に入りでよく聴いている。不勉強だったので両者ともこれで初めて知った。ミニマルな構築美に空間を切り裂くようなフリージャズ。官能だな、とも思う。深くも潜れるし、高くも跳べる。そういう音楽だ。
 
  

0616(Sat)

Four Tetの変名プロジェクト(とはいえ発音できない)⣎⡇ꉺლ༽இ•̛)ྀ◞ ༎ຶ ༽ৣৢ؞ৢ؞ؖ ꉺლの新曲を聴いていた。くそみたいな早朝(早朝をそんな気分にさせるなんて、仕事は偉大)をなんとかそれで乗り切ることができた。

⣎⡇ꉺლ༽இ•̛)ྀ◞ ༎ຶ ༽ৣৢ؞ৢ؞ؖ ꉺლ “ ̡ ҉ ҉. ·๑ඕั ҉ ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ҉ ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ҉
 
若い人たちと話すのは楽しいね、と思うんだけど、それは相手が気を使ってくれているからなのではという気持ちもある。
 
 

0617(Sun)

終電で帰ってはnetflixでERを見進めている。シーズン8でアビーが誕生日にロクな目に合わないというエピソードを見ているうちに日付が変わってぼくもまた1つ年齢を重ねた。

恋人からお祝いの言葉が届けられてそれはもちろん嬉しかったんだけど、それ以上に、そこに添えられていた意志の表明のようなものがとてもよくて、僕は久しぶりに「僕個人」に向けられた言葉に心を動かされていた。

そう、果たして今の僕が役割ではなく個人として受け取る言葉がどれほどあるのだろうか。仕事だけでなく、日常のありとあらゆるその場におけるふさわしい存在・役割としての「僕」ではなく、個人、現存在の僕として。あるいはそれは「今」に限った話ではなく。根を張った生き方の作法が、作法自体を守るためにアップデートされてきたのなら?役割は悪しき慣習ではない。それは生きながらえるために必要なものである。でもそれはたぶん、生活にとても近いところの人生で、そうではなく人生としての人生を歩むための作法をここから身につけていかなければならないのだ。
 
 

0618(Mon)

1日のうちに、考える時間がほとんどないことに気付く。僕の最後の日々がこれじゃあね。


The Internet - Come Over (Official Video)

The Internetの新曲が心地よい。自信が感じられる。

 
 

0619(Tue)

アプリで学習時間を記録するようになって、それは長い期間をかけてようやく習慣になってきた。次は、どれくらいさぼっているのかを明らかにしなければという思い。その可視化は紙の手帳(使うのは何年ぶりだろうか)にしようと思って、書店と文具店に赴いたがお目当てのものがなく、結局Amazonに頼ることになった。別にいいんだけど、こういうことがもうずっと前から続いていて、なんか悲しい気持ちになってくる。その気持ちが何に端を発しているのかはいまだにつかみあぐねているのだけれども。
 
知っている(知らない)人が複数の視点で描写されていて、そのどれもが微妙に異なっていながらも同じ人を描いており、またその場に僕はいない(そして僕はその人を知らない)にも関わらず、それが「その人である」と分かるという体験。それでもその人は「それは果たして私のことなのだろうか」と思うのかもしれない。それぞれのわたしのせかいが、それぞれにあるのだ。僕は僕のことをわたしのせかいからしか見ることができなくて、それってとてもつまらないことだなと思う。いったい僕は、周囲のわたしのせかいでどんな顔をして暮らしているのだろう。

 

0620(Wed)

雨期である。靴下と下着を買い足さねばと思って赴いた駅前の衣料品店で、あれよあれよという間に散財。よさげなパンツを3本。だが、雨期である。いましばらく、クローゼットの中で待機。

会ったら話したいことがたくさんあったような気がしていたのだけれど、目に映るその光景を前にすべてがどうでもいいことのように思えてきて、ばかみたいな顔をして、ばかみたいなことばかり言っていた。

今週はここまで。