重ねられた生活 20180705~0711

0705(Thu)

今日は珍しくとくに話すこともないかな、と思ってテキストに目を落としたはずだったんだけど。
 
◆おやすみを助走もなしに言えること名付けのゆえと知る戻り梅雨
 
そういうことだなって。 
 
  

0706(Fri)

 
Roisin Murphyの少し前に出ていたEP。「All My Dreams」では声というものの楽器としての楽しさが感じられるし、「Innocence」ではミニマルな高揚感を味わえる。
 

 
最新EPではもっとアッパーなものも聞ける。夏だね。
 
 

0707(Sat)


jorja smithのデビュー作。シングルや客演で期待値が上がる中、及第点の作品というところではないでしょうか。個人的には声の魅力は正直そこまで感じないのだけれども、曲はとても良かったです。
 
 

0708(Sun)

ceroの新作をやっと聴いた。リズムアプローチとコードの話はまた別の機会として、詞の話をしておくと、ストーリーテリングな展開、語り部的意匠の減少が印象的だった。思えばユリイカでのインタビューでもそのようなことは述べられていて、なるほどなあといった感じ。聴き込みたい一作。ラストの表題曲が四つ打ちの秀逸な曲なんだけど、リズムがスタンダードな曲にはっとさせられるという稀有な体験。

cero / 魚の骨 鳥の羽根【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
 
彼らの前作と今作の間にjamie isaacの新作があるかなと思ったけどそれは言い過ぎかもしれない。(いい作品ではあるが) 
 

 
 

0709(Mon)

豪雨のニュースをテレビ越しにふたりで見ていた。「うわあ」とか「あららら」とか声を出しては怖いね、だとか早く安心できる日が来てほしいねとかそういうことを言い合った。他人事、といえばそれまでなのかもしれないけれど、僕は311のとき、みんなに自分のために祈れよ、怖いっていえよって思っていたし、実際そう書いてもいたから、自分がそうするのは当然の成り行きだった。僕は映像を見て、記事を読んで、音を聞いて、はっきりと怖いとそう思った。だからそれを軽減させるようなことを言ったり、したりしたのだった。
 
そう僕はあの日のことを思い出していたのだ。そして、こうなってしまっては「元に戻る」ということはないのだということを考えていた。本当に、怖かっただろうなと思うし、目の前に積まれたあれやこれやのことを考えては途方もない気持ちになっているだろう。なんにしても歩くしかないのだ。日々が、日常となるまでも、そしてその先も。
 
 

0710(Tue)

毎度年末にベストミュージックをやるときに、年間通して新作音楽の話を数えるほどしかしてないのにどばどばとやるのはいかがなものかということで話し始めたら今度はその話しかしてないぞ。でもねえ、1日のルーティンとしては朝起きてから仕事場につくまでと仕事場から帰って眠りにつくまでずっと音楽が鳴っているのだから仕方がないよね。例外はnetflix見てるときと恋人と会ってるときくらいか。でも後者は後者で相手が好きな曲聞かされてること多いしなあ。カバーしている範囲がぜんぜん違うので面白い。
 
beach houseの新作。この人たちってこんな音鳴らす人たちだったっけ?

 
 

0711(Wed)

今度のお出かけのことをかんがえている。控えめに言っても、仲が良すぎる。初期のボーナス分を差し引いても。別に悪いことではないのだけれども、何かをしなければこれが長く続くとは思えないと感じてしまうことがある。その人が言った、絶対にうまく行くと分かっている決断がこんなにも恐ろしいものだとは思わなかったということの変奏のようなものなのかもしれない。
 

今週はここまで。

重ねられた生活 20180621~0704

0621(Thu)

J Husの新EP。相変わらずよい。
 

  
 

0622(Fri)

あらためてハインズの飛躍した新作を聴く。アラバマ・シェイクスの『Sound & Color』のときはいったいバンドがすごいのかプロデューサーのショーン・エヴェレットがすごいのかよくわからなかったのだが(結論、どちらもすごいのだ)、いやあこれはショーン、いまさらながら敏腕…!と思わずにはいられない。
 

Hinds - The Club (Official Video)

Hinds - Finally Floating
 
同じトーンだけど鳴りが違う。ちゃんと調べたら『I Don't Run』はゴードン・ラファエルがプロデュースだったのね。なんかもう良くなるべくして良くなったという感じ。
 

 
 

0623(Sat)

予定外のことが多すぎるでしょと笑う声を聴きながら、ただれたおとなになってしまったと思った。
 
 

0624(Sun)

朝方に恋人の部屋を後にして、休日の電車に乗り込む。窓から見た朝焼けがとてもきれいで、これを見ずにもう一度眠ってしまうなんてもったいないよ!と起こしに戻ろうかと思ったくらいだった。
 

吉澤嘉代子「残ってる」MUSIC VIDEO
 
朝帰りするたびにこれを思い出すくらいにはアタシ乙女だから…ちなみに吉澤嘉代子その人の声を初めて聞いたのがこの曲で、すぐにわれらが小谷美紗子を思い出した次第。
 
部屋に戻りシャワーを浴びて眠りに落ちて、夕焼けの頃にのそのそと起きだしてはまた電車に揺られていた。窓から見る景色がまたきれいで、教えなくては!と思っていたのだけれども、顔を見て、お久しぶりですと笑いあっているうちに忘れてしまった。
 
 

0625(Mon)

人間が死へと流れていくことが定められているならば、生きることは選択しなければ成立しないことか?と考える。死は選択してもしなくても訪れることではあるが、生きるというのはそうしなければそうならないことなのではないか。そうしようと思ってもそうならないことはあるにせよ。
 
 

0626(Tue)

アンダーソン・パークの新曲。お納めください。

 
 

0627(Wed)

引っ越しのことを真剣に考えた。
 
 

0628(Thu)

Young Echoの5年ぶりの新作を聴いた。前作ではブリストルシーンをレペゼンするその夜のサウンドにひどく興奮した(年間ベストに選んだ)ので少々ハードルを上げすぎてしまった(11人は多いよなあ)かなとも思ったのだけれども、彼らの不在(とはいえそれぞれに活動はしているのだが)の間に音楽の進化のスピードがものすごい勢いで加速したことが分かってそのことばかりが気になった。とはいえ、さすがの内容でハッとする瞬間がいくつもあって、ここらで夜の再定義をしなければいけないところなのかもしれないなどと思った。
 

Young Echo - Here
 
 

0629(Fri)

仕事の移動中にカニエの新作を聴く。国内でさえそうなのだから、海の向こうのもろもろは取捨選択さえすれば不必要な情報を遮断できる(そのことの危うさはあるにしても)ので、作品とその周辺のこととを切り離して聞けるので良い。(『プリグズリー・ベア』を見に行くかどうかを迷っているのは、その辺りの描き方がどうなんだろうなという興味からである)それにしても、ある種の美しさすら感じる。双極性障害は辛いけど最高だぜ!てお題目から、もうね。内面の弱さとエゴを相変わらずちゃんと昇華していて、才能というもののことを考えるのであった。

 
 

0630(Sat)

やっとターナー展に行けたのは良かったのだが、日の選択を誤ったと感じた。人が多すぎて満足に見れなかった。そしてそれ以上にやはり…見る力がなくなっている…。
 
 

0701(Sun)

昼寝をすると恋人が言い出したので、起こす役を買って出ては寝かしつける。クーラーはいらないというので、窓を開け、本を読みながら少し扇ぐ。子どもじゃんと笑う僕に眠れねえなあとの返事。夏の日曜午後の記号性、そういうものを実感する。ぐだぐだと話しながら全然眠る気配がないその人の隣で、僕もまたぼんやりと横になりあいまいに時間を過ごした。ゆっくりと、しかしあっという間にそれは僕らの間を駆け抜けていった。
 
 

0702(Mon)

われらがチャーリーXCXの新作群の中ではこれが好きです。しっかりと今のポップで抜群にキュート。こちらからは以上です。

Charli XCX - 5 In The Morning [Official Audio]
 
 

0703(Tue)

Arctic Monkeysの新作。今作もまた今だれも鳴らしてない音なのですごい。派手さはないけどラグジュアリーでセクシーさが増している。

 
 

0704(Wed)

最近風が強すぎませんか、ということを私は言いたい。梅雨前線の影響らしいけど、もうホントこれだけでイライラがすごい。別に前髪が死ぬからとかいうナイーヴな理由ではなく(それもあるけど)、前に進めないのだ。うまく。事あるごとに言っている気がするが、職場につながる道は設計ミスを疑うレベルでビル風が吹く。普通の日でも歩きづらい程度には。で、この強風である。雨が降る。傘をさす。傘が壊れる。きーっ!!というわけで、生まれて初めてレインコート(ジャケット?)なるものを手に入れた。濡れないという意味では最高である。だが蒸れる。汗だくである。時は21世紀。平成も終わろうかというタイミングであるにもかかわらず、こんなことすら人間は我慢以外の方法では乗り越えることができないのかと思ってしまう。
 
先週と今週はここまで。

2018年6月の断片的な目次

・6/ 1 
・6/ 2 
・6/ 3 
・6/ 4 
・6/ 5 
・6/ 6
・6/ 7 理由ができたから
・6/ 8 
・6/ 9 
・6/10 
・6/11 
・6/12 
・6/13 
・6/14 無理ばかりだ 
・6/15 
・6/16 帰っておいで
・6/17 言えたじゃん 
・6/18 やるぞ~という気持ちをくじく何か 

重ねられた生活 20180614~0620

0614(Thu)

忙しすぎて気がどうにかなりそうだ。こんな生活、長く続くわけがない。
 
終電に乗る前に、わずかばかりの時間を恋人との通話に使う。これがなかったらどうなっていたんだろう。と同時に、誰が何を縛っているのかについては、常に自覚的でなければならないと、そう感じた。
 
電車の中でよいニュースをみた。
www.oricon.co.jp
 
これは本当によい作品なのだ。それがブランデッドムービーであれ、プロモーションであれ、とにかくよいものはよい。玉城ティナ玉城ティナになりたがる、それがそれになりたがりそれであることを引き受けようとするその姿をしっかり描ききっている。前も言ったなこれ。
 
 

0615(Fri)

終電を待つホームでの大勢の会話とそれをかき消すどころか一緒になって大騒ぎするような音量のアナウンスが遅延を告げるのを耳に入れながら、うんざりした気分に拍車をかけていく。まったく、なんてことだ。
 
最近駅で人にぶつかってしまうことが多くて、そのたびにちゃんと謝っているつもりではあるんだけど、わざとぶつかる人みたいに思われてないだろうかとひやひやする。疲労とストレスがかなりキテおり、そのせいでチューニングがずれてるというか、普段だったらよけられるはずのものへの反応が遅くなっているというか、とにかくそんな感じがする。僕からすると向こうが遅いように見えているのだけれども、きっと事実はその逆なのだろう。
 

Joy Orbisonとサックス奏者のBen Vinceの共作。最近お気に入りでよく聴いている。不勉強だったので両者ともこれで初めて知った。ミニマルな構築美に空間を切り裂くようなフリージャズ。官能だな、とも思う。深くも潜れるし、高くも跳べる。そういう音楽だ。
 
  

0616(Sat)

Four Tetの変名プロジェクト(とはいえ発音できない)⣎⡇ꉺლ༽இ•̛)ྀ◞ ༎ຶ ༽ৣৢ؞ৢ؞ؖ ꉺლの新曲を聴いていた。くそみたいな早朝(早朝をそんな気分にさせるなんて、仕事は偉大)をなんとかそれで乗り切ることができた。

⣎⡇ꉺლ༽இ•̛)ྀ◞ ༎ຶ ༽ৣৢ؞ৢ؞ؖ ꉺლ “ ̡ ҉ ҉. ·๑ඕั ҉ ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ҉ ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ̸ ̡ ҉ ҉.·๑ඕั ҉
 
若い人たちと話すのは楽しいね、と思うんだけど、それは相手が気を使ってくれているからなのではという気持ちもある。
 
 

0617(Sun)

終電で帰ってはnetflixでERを見進めている。シーズン8でアビーが誕生日にロクな目に合わないというエピソードを見ているうちに日付が変わってぼくもまた1つ年齢を重ねた。

恋人からお祝いの言葉が届けられてそれはもちろん嬉しかったんだけど、それ以上に、そこに添えられていた意志の表明のようなものがとてもよくて、僕は久しぶりに「僕個人」に向けられた言葉に心を動かされていた。

そう、果たして今の僕が役割ではなく個人として受け取る言葉がどれほどあるのだろうか。仕事だけでなく、日常のありとあらゆるその場におけるふさわしい存在・役割としての「僕」ではなく、個人、現存在の僕として。あるいはそれは「今」に限った話ではなく。根を張った生き方の作法が、作法自体を守るためにアップデートされてきたのなら?役割は悪しき慣習ではない。それは生きながらえるために必要なものである。でもそれはたぶん、生活にとても近いところの人生で、そうではなく人生としての人生を歩むための作法をここから身につけていかなければならないのだ。
 
 

0618(Mon)

1日のうちに、考える時間がほとんどないことに気付く。僕の最後の日々がこれじゃあね。


The Internet - Come Over (Official Video)

The Internetの新曲が心地よい。自信が感じられる。

 
 

0619(Tue)

アプリで学習時間を記録するようになって、それは長い期間をかけてようやく習慣になってきた。次は、どれくらいさぼっているのかを明らかにしなければという思い。その可視化は紙の手帳(使うのは何年ぶりだろうか)にしようと思って、書店と文具店に赴いたがお目当てのものがなく、結局Amazonに頼ることになった。別にいいんだけど、こういうことがもうずっと前から続いていて、なんか悲しい気持ちになってくる。その気持ちが何に端を発しているのかはいまだにつかみあぐねているのだけれども。
 
知っている(知らない)人が複数の視点で描写されていて、そのどれもが微妙に異なっていながらも同じ人を描いており、またその場に僕はいない(そして僕はその人を知らない)にも関わらず、それが「その人である」と分かるという体験。それでもその人は「それは果たして私のことなのだろうか」と思うのかもしれない。それぞれのわたしのせかいが、それぞれにあるのだ。僕は僕のことをわたしのせかいからしか見ることができなくて、それってとてもつまらないことだなと思う。いったい僕は、周囲のわたしのせかいでどんな顔をして暮らしているのだろう。

 

0620(Wed)

雨期である。靴下と下着を買い足さねばと思って赴いた駅前の衣料品店で、あれよあれよという間に散財。よさげなパンツを3本。だが、雨期である。いましばらく、クローゼットの中で待機。

会ったら話したいことがたくさんあったような気がしていたのだけれど、目に映るその光景を前にすべてがどうでもいいことのように思えてきて、ばかみたいな顔をして、ばかみたいなことばかり言っていた。

今週はここまで。