2017年の断片的な目次

日々に目次をつけていきます。その日の日記とは関係のない場合が多いです。「僕の」目次なのかもしれません。
 
 
・ 4/ 9 「ごはんのお供」という表現 
・ 4/10 このお礼はいずれ、精神的に。
・ 4/11 これはあおいさんのためじゃなくて、わたしのためなんです。
・ 4/12 ただいまの気温19℃
・ 4/13 前よりしなびたんじゃないですか
・ 4/14 そのために電話くれたんですか?
・ 4/15 結局、昨日カレーにしたのかなあ
・ 4/16 waste of timeだな、つって。
・ 4/17 何で行っちゃうの?ってそりゃあ、お迎えが来たから。ね。
・ 4/18 ちょっと待ってて
・ 4/19 Yogee New Waves / Like Sixteen Candles
・ 4/20 ロメインレタス
・ 4/21 がんばってでますね
・ 4/22 キリンジ / エイリアンズ
・ 4/23 都会っ子の余裕
・ 4/24 「How does it feel」の発音
・ 4/25 良くない日だった
・ 4/26 「都立が丘」という駅で突風と洪水に見舞われ、流された先の映画館の屋上から街が海になるのを高校生たちと見続けるという夢を見た。
・ 4/27 遠くへ行きたい どこへも行けない
・ 4/28 ますますのご活躍を
・ 4/29 ピエロ
・ 4/30 尋常小学校を見に行くことを思い立つ

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重ねられた生活 20171104~1110

1104(Sat)

出勤に際し靴を選んでいたらあの人からのメッセージと君の写真。不意打ち。純白のドレスに身を包んだ君の姿がそこに映し出されている。瞬間、涙がこみ上げる。涙腺を刺激している感情はなんだ?悲しいわけでも嬉しいわけでもなく、感動とも違う。君がドレスを着ている。ただその事実だけで、そしてその事実だけがつき動かすことのできる感情がある。そういうことだろう。僕は自分の中に名前を持たない感情があるということを好ましく思う。そしてそういうことを感じさせてくれる存在に、大きな感謝の念を抱く。流れ流れてようやくたどりついた約束の日の前日というタイミングも完璧だ、と思った。それでこそ君なのだ。ほとんど決まり事のように詩集を鞄に忍ばせて仕事へ向かった。
 
なんとなくお互いにお互いを待っているのもおなじみになってきた夜の風景。強い風に任せて嘘っぽく紛れていくのにも慣れてきた。明日の今頃、もっと冗談みたいな気分になっているんだろう。
 
 

1105(Sun)


フレンズ「NIGHT TOWN」
 
こういう時間を過ごしてるとき、なにしてんだろと思うクセ何とかならんのかなあ。
 
出かけるのは初めてだから…なんて思っていたのに、気づいたら予定の3倍近くの時間を2人で過ごしてああでもないこうでもないと話しては笑い合った。いろんなことに驚き合ったり、ドジに巻き込まれてはしょうがないなあと見守ったりしながらたどり着いた好きな人の街。僕の街とも君の街とも全然違った。坂をのぼって、祖父母が生きた土地に少しだけ似た景色を抜けてマンションにたどり着く。ベランダから今来た道を反芻する僕の隣で「あれが…」と東京の電波塔二種の場所を教えてくれるその声が、この先はどうあれ、今このときは僕だけのものであるということを嬉しく思う。今夜僕が覚えた居心地の良さと同じだけのものを、与えられていたのならよいのだけれども。
 
 

1106(Mon)


欅坂46『風に吹かれても』
 
この前、大森女史のカバーについて書いたときにたまたま聴いて以来、この曲(とMV)がなんだか妙に好きになってしまい(2番のサビのとこのステップが好き。というか僕はああいう足さばきが好きなのかもしれない…)、リリースされた曲を一通り聴くに至ってしまった。それで…ハイファイな音作りはともかくとして、ポップスとしてなかなか良いのでは~という気持ちともう完全に市場は10代に向けてだけ開かれているのか!とかなんとか思いながら楽しんでいたのだけれども
 

欅坂46『W-KEYAKIZAKAの詩』
 
これがどうにもおかしな琴線に触れてしまった。おそらくグループのステイトメントを表明するものであろう自己言及的なこの曲でこのバタバタ感である。あちこちで見られる不揃いな感じ、「お、やってんな!」とももちろん感じるのだけれども、それ以上に、コメントを見る限り(プロデュースされたものであるとはいえ) どうやら様々な「物語」が詰め込まれているらしいこの曲でさえも、いやだからこそ、きっと深いところではそれぞれがそれぞれのために歌い踊っているのだろうというその事実が、とても尊いことのように思えたのだった。自由を求めるとはそういうことなのだ。ここに映る彼女たちにはぜひ幸せになってもらいたいという良く分からない感情がわきあがってきてしまった。ああこれ、僕、メンバーを覚えたりし始めるのだろうか。。
 
 

1107(Tue)

しばらく前からずっと踏ん張っていたのだけれども、体調の悪さに耐えきれなかった。改札を抜けて、ほとんど帰巣本能だけで家路に着く。道中、過去の知り合いとばったり会って、少し言葉を交わしたのだけれども、果たして目がちゃんと開いていたのかどうか。部屋にたどり着いて、息も絶え絶え最低限のことを済ませ、そのままベッドに倒れこんでしまった。
 
  

1108(Wed)

悪夢を見たという漠然とした記憶とともに起床。汗びっしょり。たぶん熱があったのだろう。最近寝付きも悪く睡眠自体も浅いことが続いていたので次の休みは寝て過ごそうと決める。薬の飲み過ぎで気分悪く日中を過ごす。
 
それでも夜に好きな人と言葉を交わすうちに少しだけ元気が出てくる。街にあらわれたイルミネーションについて「まあまあ綺麗だね」という評価をともにしながら歩く。いつもより街に人が多いということだけで笑いあってしまう、そういう時期にいる。心を通わせる入口は、こんなにも幸福であること、ずいぶんと長い間忘れていた気がする。
 
 

1109(Thu)

いろんな嫌なことがあったけれど、比較的穏やかな気持ちでやり過ごすことができた気がする。辛いときに戻れるセーブポイントみたいなものが頭の中にあるというのは大事なことだ。
 
ストレンジャー・シングス』シーズン2を見終えた。はみ出し者への賛歌、ここに極まれりだ。続編も予定はされているようだけど、これ以上の展開があるのだろうかとも思っている。それだけ満足感は高かった。良い表現を見られて幸せである。
  
 

1110(Fri)

書店に『神学大全』を買いに行ったのだが空振り。これだから…。アウグスティヌスを読んだのは実存的な部分において共鳴するものがある気がしたから。ではトマス・アクィナスに触れようとしているのはなぜなのか。それは、瞬間への信仰を抱きながらも同時に誰もそこにはたどり着けないのだと思っているから。つまりは、神のもとへと理性ではたどり着けないのと同じ構図がそこにはあって、だからこそ「哲学は神学の婢」として統合・完成させたその体系を学んでおくことは、僕が瞬間を追う上で重要なことだろうと考えているからだ。

学校の方は本丸の哲学分野に入る前にひとまず外国語の単位を取らなければならないわけだけれども、テキストを読み進めて行くとおそらく単位の修得とは関係ないと思われる枝葉の部分で面白くなってしまってなかなか進まない。

Netflix、とりあえず次のドラマをさがす前に未消化になっている『ラヴ』と『マスター・オブ・ゼロ』を見終えようと思っていたのだけれども、『ストレンジャー・シングス』の出演陣に話を聴く番組が配信されていて、そちらを先に。まだ途中なのだが、あの子供たちがちゃんとキャラクターの造形を理解し自分のものとして演じているのが伝わってきて愛おしい気持ちになる。ダファーブラザーズが兄弟ばかりでつるむせいで幼稚園を留年になったエピソード最高だった。キュートなのは演者ばかりではないのか!そんな今週はここまで。
 

重ねられた生活 20171028~1103

1028(Sat)

大学でいろいろな話を聴いてくる。僕もこのコミュニティのはしっこの方に存在している。ずっとしたいことではあったけれど、まさか本当にもう一度学生になるなんて。不思議な感覚と高揚感がそこにはあった。
 
今思えば1度目の学生の4年間というのは最低限の社会生活を営めるようになるまでのリハビリみたいなもんだったんだろうなと。いまは純粋に学びたいことがある。そのために自分の時間やお金を使うということも含めて、いろいろあのころとは違うということを感じる。かつてのようなささくれ立った気持ちや焦燥感ではなく、純な興味だけがその駆動を支えている。僕には確かに時間が流れたようであった。
 
事務的なことや学び方などの話はもとより、足を運んで良かったと思ったのは「学問は人間より大きなものだ」という話が聞けたことであった。心からその通りだと思う。キャンパスを歩きながらこの場には社会生活とは異なった時間が流れていることを感じる。それは1度目の学生のときには感じえなかったものである。がんばろう、ただそう思う。
 
終えて、大手町で買い物。僕が欲しかったものはなくて、好きな人にあげたかったお菓子はあった。仕事を済ませて、好きな人に会いに行って、約束はまた延期だねと話しながらそれを渡す。「何者ですかそれは!」帰りの電車でひとりになってから気づいたけど、生まれて初めて聞いた言葉づかいだった気がする。ずるいんだよな、そういうの。
 
 

1029(Sun)

恨めしい気持ちで空模様を眺めながら、でもすこしほっとした心もちで。浅い眠りと頭痛を繰り返しながら、僕は正しく進んでいるのだろうかと考えてしまう。僕にとっては正しいことかどうか(あるいは正しいと自分が信じられるかどうか)はわりと大事なことなんだなと思う。
 
台風が通り過ぎている、そんな夜中にぼんやりと地上波のテレビをつけていたら(すごい久しぶりだったのでCMがあるということに少しだけ興奮した)、アイドルと思しき若い女性たちがわちゃわちゃしはじめた。誰ひとり名前も知らない状態だったけど、なんだか若さの持つ暴力的なきらめきを見せられているようで、元気をもらう人がいるというのもわからないでもないな、でもそれはきっと、彼女たちと同じくらい実は元気な人でないと受け取れないものなのではないかなということを考えた。
 
 

1030(Mon)

大学のテキストに近似複数の話が載っていた。つまりはWeは厳密にはIの複数ではないよねって話。その混線が起きないって途方もないほどにすごいことなのでは…!という気持ちになってしまった。その処理ができるのに、簡単に思えるような感情の整理がなぜ難しいのか。担当部署の違い?いやはや。
 
 

1031(Tue)

幸せになる準備、できてんのかなあと思った。もしできてないとするならば(できた感じはないのできっとできていないのだと思う)、いったいどうやって準備すればいいのだろう。
 
10年のあれを書き終えたのでようやくサニーデイ活動を振り返る書籍『青春狂騒曲』を読み進めている。僕は第1期サニーデイの活動に間に合わなかったし、住んでいた街にそういう文化がなかったので音楽誌なども通らなかった人間だ。だから当時のインタビューが読めるだけでもとても嬉しくなる。でも少しずつ重たい内容がちらほら見えてきているので時間をかけて大事に読みたいなという気持ち。

青春狂走曲

青春狂走曲

 
  

1101(Wed)

時間差で建物から出て、途中で落ち合うということを打ち合わせなしでやるような大人になってしまった。なんてことだ!
 
あー今日だめな日だあ。ふふふ。と相変わらずふにゃふにゃなその横顔を覗き込みながら、そうだな、ぼくもダメな日あるよとか思う。ぼけぼけの2人は何もないところで躓いたりものをぼろぼろ落としたり、壁にぶつかったりしてふへへと笑いながら歩いていく。大人なのにね。まあ怪我にだけは気をつけよう。お互いに。
 
 

1102(Thu)

帰りの電車で猛烈な眠気に襲われる。それでも勉強をしなければいけないからと部屋に戻ってからなんとか気持ちを奮い立たせたのだけれども、全然だめだった。しっかりとした睡眠時間を確保させようとしているとするならば、睡魔も案外いい奴なのかもな。でも睡魔って何が目的で僕らを眠りの世界に誘い込もうとしているのだろうか。ノルマとかあんのかな。
 
 

1103(Fri)

くたくただ。仕事、もういい加減にしてくれって感じだ。
 
ストレンジャー・シングス』のS2を何日か前から見始めていて、そのエピソード1で子供たちに再会したとき、前シーズンで感じたあの正しきジュブナイル感がさーっとよみがえってきて素晴らしい気分になる。今シーズンも安定の面白さでよい。実に良い。
 
面白いといえばやはりアウグスティヌス『告白』である。本編自体は既に読み終えているのだが、訳者である山田氏のあとがき・解説がまたすこぶる面白く、何度も噛みしめてしまう。
 
懺悔としての告白と賛美としての告白の同居について以下のように述べられる。

自分は無から造られた。神が自分を存在せしめてくださらないならば、自分は無のうちに消えてゆく。罪とは無へのかたむきであり、罪の告白において、私は「無からのもの」であることを告白するのである。しかし自分は、無ではない。「無からのもの」であるとともに、神によって「在らしめられているもの」である。自己を「無からのもの」と知ることは、一面の真実である。
他面、自分は在らしめられて「在るもの」だと知らねばならない。自分が無であるとか、罪のかたまりであるとかいう告白は、それだけでは誇張であり、虚偽である。自分は神から在らしめられて「在るもの」である以上、やはり何らかの善きものである。それゆえ告白は、それが真の告白であるためには、たんに罪の告白、自己の有限性の告白だけではたりない。自分が神からうけている善きものをすなおにみとめ、それにたいして感謝の告白をしなければならない。(p.303-304)

澄んだ空気を胸一杯に吸ったときのような気分になる。文章でそのような体験ができるのだ。これに感動せず何に感動すればよいのか。
 
そして今度こその約束の日が迫っている。今週はここまで。
 

重ねられた生活 20171021~1027

1021(Sat)

僕の好きな人は言葉の使い方が少し変わっていて、それが時々本人の意図から外れて僕の核心をついていることがあり、心が強く動かされてしまう。のだった。そしてそれは君もそうだった。ただ当然ながら違うところもあって、君のそれは余りにも芯を食い過ぎており、核心だけでなく僕だけの真理を突いていることもしばしばであった。だから僕は随分と弱ってしまったのだろうな。なんて人のせいにしてしまう。それぐらいの強烈さ、だった。
 
僕だって、役割に袖を通したときに口から出る言葉では、たしかに人を動かしていることがある。正解が何なのかはきっと一生かかっても分からないとは思うけれども、それでも子どもたちによって様々なコードがあって、そこにはおおよその傾向のようなものがあるところまでは感覚には入っている。でも好きな人や君が僕にしてみせたように、日常の、その人の言葉で誰かに天啓のようなものを授けることができたらどんなに素晴らしいだろうかと思う。もちろんそれは言葉通りにいけば不遜な態度ではある。でも…そういう言葉を自らのうちに蓄えることができたのなら、きっと僕の人生には光があるとそういうことにはならないだろうかとそう思うのだった。他でもない自分自身が自分自身の人生を照らす光となりうる可能性。そういう自分を肯定する術を積極的に探していきたい。誰かを正しく肯定するためにも。
 
 

1022(Sun)

予定が流れた日曜日はふて寝を過ごすに限る。来週こそは晴れるんだろうなと様々な機関の予報を見てみたら次の台風が出来てて苦笑い。まあフジロックの1回目も大嵐からスタートだったし、色とりどりの思い以外にもこれからの日々を彩るものがあってもいいだろう…となんとか自分を納得させる。
 
夜に10年とすこしについての一連の記事を書き終えた。大儀であった。だが特に目新しいことは出てこなかった。当たり前か。でもなんか、書きあげられてよかったなと思う。ようやく異化できたというか。とても自然に、これからも君と共にゆこうとそう思えた。今はとりあえずそれだけ。
 
 

1023(Mon)


2016/03/30  大森靖子@HMV池袋エソラ

野球は好きだけど 野球中継は観ない
わたしがチャンネル回した途端に 岸が打たれたらどうしよう

初期の楽曲のうち好きなものの1つがこの「コーヒータイム」で(岸君はいま自分のひいきのチームにいて嬉しい限りです)、この歌いだしに「自分を雨男だと認識するときの無自覚な尊大さ」を遂に僕が自覚してしまったあの日の感じを重ねてしまって毎回ひどく心を打たれる。だからこそ

逆上がりもできないまま
大人になっちゃって私
ファッション誌なんか読んじゃって
やられたって感じだ

というその後にあらわれるラインの照れ隠しみたいなものがすっと入ってくる。そのままでいい、じゃなくて「それでもいいよね」と言ってくれるのは嬉しい。それにしてもこの動画もそうだけど『TOKYO BLACK HOLE』発売前後の辺りの弾き語りには好きなものがとても多い。もっともっと『TOKYO~』は評価されてほしいなとそう思うのだった。
 
 

1024(Tue)

好きな人と隣り合って電車で揺られている。どうしてこうなったんだっけ?空気を読んで席を詰めてくれたおじさんにちゃんとお礼を言う姿、よい。それだって結論ありきだろと外野(自分)の声が聞こえる。そんなこと言われても、しょうがないよね。
 
ターミナル駅で乗客がぞろぞろと降りて行く。車両にさびしく取り残された僕らと幾人かの人たち。向かいの窓ガラスに映る2人の影は悪くないだろう?あんな話やこんな話をする。乗ったことのない車両、当然見たことのない景色、隣にはいないはずの人、だからやっぱり見たことのない景色。そういう時間が駅間をつないでいく。そして控え目に響く僕らの笑い声を残して、僕は降りたことのない駅に投げ出される。もうずいぶん、冷え始めたね。ぼけっとした僕らをその街の日常の空気がつつんでいく。こんなに大切なことなのに、行きかう人たちは誰も気に留めてないだなんて。すごいや。
 
 

1025(Wed)

また台風だねえとうなだれる僕を前に好きな人は迷信の類を持ち出してはへーきですよへーきなどという。そんなふうに言われると平気な気が…してこない。が、まあなるようにしかならないよなという気持ちぐらいにはなる。お天道様に好かれる生き方をしてきたわけでもないですし。ね。でもさあ、天気なんとかならんかなあ。
 
部屋に戻って『マインド・ハンター』のS1を見終えた。クレジットを見なくてもフィンチャーが撮ったエピソードなんだなって分かる映像の良さよ。
 
 

1026(Thu)

ファッツ・ドミノが亡くなったらしい。訃報を前にして存命であったことを知るのも倒錯しているなと思いつつ。
 
原初の音楽体験はテレビから聞こえてきた流行りのポップスで、その後ラジオとカセットテープで時間の軸がフラット寄りになり、インターネットがあなたが好きなのはロックじゃなくて、ロックンロールだよということを教えてくれた。そしてレコードショップや図書館から僕が好きなのはブルーズだったのだということを学んだ。ひらたく言えば僕はそういう音楽体験をしてきた。ファッツ・ドミノも、通り過ぎたヒーローの1人だった。 
 

Fats Domino - The Fat Man (Live)
 
僕は自然と体が動いてしまうときの動きがすきなんだ…。
 
ちなみに目黒線沿線のジャズ喫茶から、ジャズは詳しくなくても感じられるものがあるんだよということを教わった。2時間近くいて帰ろうとしたらもう1曲聞いてけ、て言われて素直に聞いてったんだっけなあ。もう何年前の話だろうか。
 
  

1027(Fri)


欅坂46 『サイレントマジョリティー』
 
これが出てわーわー言われてる時に、僕は世代間対立としての「大人」はもうだいぶ前からいないでしょう?と思っていて(僕らが戦うべきはきっと慣習とかシステムとかそういったもので、それはたぶん「大人」とは本質的には関係ないはず)。親殺しの感覚の喪失については、それは極めて個人的な経験ではあるけれど件の記事のdisc1で述べた。そういう時代ってある意味では少しだけ悲しいよねという気持ちをこめて。もちろんそれだってニヒリズムの渦の中にあるものなのかもしれないけれど。それで…だからここで言われているような反抗ってどこまで有効なんだろう?という疑問があったのだけれども、後発のシングルなんかみてると、ああ10代の同調圧力のようなものから救われた人がいるのか、と考えるとなんとなく合点がいって腑に落ちたのだった。それは普遍だものね。だからここでいう大人っていうのもまたいわゆる大人とは別のもので…。
 

大森靖子「サイレントマジョリティー」Music Video
 
大森女史が歌うことで、あるいはミスiDの面々がMVに出ることで、また全然違うニュアンスがここには出てくるなと思う。「M」からの流れで考えると特に。原曲の方で救われる人間とこちらで救われる人間はまた別の気がする。自由に生きようとしているだけなのに、おもに自分のせいで(あるいはそのように感じてしまう、ということなのかもしれない)不自由になってしまった人たちを「それでも」へ向かわせるもの。そういうものがこちらには色濃くある気がする。どちらがいいとか悪いとかそんな問題ではない。どちらも必要なものなのだろう。僕はそれらを前にただただ「表現」の妙に感嘆するばかりである。
 

大森靖子「M」LIVE [MUTEKI] DVDより
 
今週はここまで。だよ。