2013-01-01から1年間の記事一覧

ちくま哲学の森 1 生きる技術

ちくま哲学の森 1 生きる技術作者: 鶴見俊輔,森毅,井上ひさし,安野光雅,池内紀出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2011/09/07メディア: 文庫 クリック: 2回この商品を含むブログ (4件) を見る生きる技術。生きるためには技術がいる。その人生のためだけの技…

2013年12月1日の日記

場を変えても、関係する相手を変えても、いわゆる「あたし目が覚めたら今日もまたあたしだった」の地獄からは逃れることは叶わず、結局のところはツールでありコンテンツであり、という生き方しか選択できない。その中に楽しみや仕掛けを見出せないことはな…

オディロン・ルドン

眼は、精神を養い、魂を養うさまざまなものを吸収するために不可欠のものである。見る能力、正しく見て、真実を見抜く能力を持たない者には、不完全な知性しかないだろう。見るということは、おのずから物事の関係をつかみ取ることなのだ。 特に黒の時代にお…

2013年5月16日の日記

ある種の人間にとって愛は病そのものである。そしてその愛に殉じるとき、愛は救いであり、恍惚である。だがそれは彼が病人であり、狂人であることの証でもある。愛は人を救い、愛は人を殺す。

2013年5月2日の日記

今回1年ぶりに京都を訪れるにあたって心がけたことがいくつかある。そのうちの1つが、観光客にならないことだった。目的のうちのこれまた1つであった、お守りを奉納することを終えた後は、本当に行き先も決めずぶらぶらしていた。今思えば新幹線代とかか…

ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代作者: 山田宏一出版社/メーカー: ワイズ出版発売日: 2010/06メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 50回この商品を含むブログ (12件) を見る しばらくはここに示されている引用元をあちこちめぐってみようと考えているのだ…

2013年2月21日の日記

永遠はないということ。瞬間に到達しなければならないと考えること。そのことが、いつの間にか焦燥感と結びついてしまっていた。そうすると、選択の際にこれまでとの微妙な違いが投入され続けていることになり、その差異が意識レベルまで上がってきたという…

2013年2月11日の日記

あなたには何でも喋ってしまうわと笑う彼女を前に、僕もまたそうであることを告げながらずっと別のことを考えていた。目の前にいる人間を突き抜けて他へとアクセスしようとしていることに気づいた時の不快感にはいつまでたっても慣れることはない。そしてそ…

2013年1月21日の日記

妙な焦りを覚えるのは、死を意識しているからかもしれない。かつてその死を事実としてのみとらえていた時期というのは、やはり明日があることをどこかで信じていたのだろう。「また今度でいいや」の刹那に襲ってくる恐怖は、死を実感し、死を見据えたものに…

2013年1月19日の日記

かつて涙は流していないがずっと泣いていると言ったのはいつだったか。僕は今なおそうなのだろう。そしてこれからも。

2013年1月11日の日記

1.かつて僕が奔放な女子に振り回されたいとそう言っていた時、それは同時に「白馬の王子様待望論」を内包していた。 2.尊厳が傷つけられるようなことが続き、それがクリアになることなく堆積し続けた場合、人は死に至る場合がある。 3.うすら笑いを浮かべ…

2013年1月7日の日記

今日でまたお別れね、と彼女はいましがた交わしたばかりの挨拶と同じ熱量でつぶやいた。終わりが決まっているということはなんて素晴らしいのだろう。それは瞬間に近づくための、その一助となる。仕事で得たフラストレーションをエンジンに、神様の使いの言…

2013年1月6日の日記

叶わないことを理解している、と僕が言うとき、そこにはほんの少しばかりの祈りが込められている。他でもない人間である以上はそこはもう仕方がないかなと思っている。予防線としての言霊を置きに行く精神性を思えば、これもまた人間である以上に日本人であ…