2017年2月17日の断片日記

▼陳腐だなと思わないでもないんだけど、ここ数日「だいじょうぶ」という言葉の収まりがよくて、ひとりごとも含めてずいぶんと使っている気がする。じょうぶなだけでもたいへんなことなのに、そこに「大」までつけるだなんて。その強気っぷりにはらはらする。はらはらさせておいて、「だいじょうぶ」なのだ。すごい。

 
▼コーヒーがすきだ。でもいろんな理由で(おもに精神的なものなのだ)、飲むわけにはいかない状況が続いている。そのかわり、というわけでもないのだけれども近頃は紅茶ばかり飲んでいる。ずずずと飲んでいる(おうち最高!)。君にはいつも味について2択を投げかける。今日はどちらの気分ですか、お嬢様。返答として、きまって2択のうちそのどちらもが返ってくる。


▼淹れながら、君が突然瞬間について語り出した時のことを思い出している。今というものへのオブセッションを、君なりの言葉と熱量で話してくれた時の姿を。誰が促したわけでもないのに、突然に。僕はそのとき確かに「導きだ」と思ったのだった。そして僕は初めて自身のうちにある瞬間への信仰心の一端を告白した。運命という言葉が頭をかすめる。でも僕は知っている。これは運命でも、必然でも、偶然でもない。見ればそうなる、だ。
 
 
▼君は最近、僕のことをいろいろな名前で呼ぶ。その中に僕の名前はもちろんないのだった。それは『気狂いピエロ』でアンナがベルモンド扮するフェルディナンを名前ではなく「ピエロ」と呼び続けたのと同じことだ。僕は思う。僕はもう、十二分に生きたのではないかと。それでも風邪をひけばしんどいし、部屋には君の上着もある。買ってきたチョコレートもチーズケーキも飲み物も、まだまだ残っている。春の訪れが近いことを告げる風に吹かれながら、そういうところを行ったり来たりしている。何でもない顔をしながら。背中から君のくしゃみが聞こえる。回数を数えておく。あとで聞かれるにきまってるからだ。3回なら良い噂だとか何とか。でもそれが1回でも2回でも何回でも、君は良い噂されてるワアと笑うはずなのだ。質疑応答を終えたら、掃除をしよう。ね。

2017年2月15日の断片日記

▼本と映画と音楽の話をしたい。それで、その話をするために読んで観て聴きたいと考えているふしがある。それら3つは僕の好きなものだ。だからこそ、今は我慢しなければならない。あとおせんべいとお酒もやめている。願掛けとかあんまり信じないたちだったけど、今なら「力を貸してやる」と言うのなら、悪魔とでも取引してやるぞとそういう鼻息の荒さがある。目の血走りがある。よくないと思う。だから、決断というものからなるべく距離を取っている。でもそれは単に決断が鈍くなっているだけなのかもしれない。境界がぼやけている。疲労と思いつめることは、こういうところから作用してくる。
 
 
▼さいきんのわたし。アロマを始めた。手始めにそろえた組み合わせ。始めてすぐは違ったかなと思ったけれど、鼻が慣れてきたのか好きな香りに思えてきた。初日は部屋に帰ってドアを開けた瞬間に「うわあ!部屋間違えた!」とか思う(実際には口に出していた)くらいには違和感があったのだが。慣れとは。今後もいろいろ試したいと思っている。それから、服装のことをよく考えている。上等な服を欲している。去年全然服を買わなかったからかもしれない(おかげでお金はずいぶん貯まった気がする)。そう、お金だ。(人生は言うに及ばず)生活が岐路である。もう少し様子を見ようかとは思っているが、清貧を覚悟するのも一つの選択肢なのは確かで。でもそれを選ぶには生活が貧しかろうが僕の人生は文化的に豊かになるのだという予感が必要で、その境地にはいまだ至らず。いずれにしてもまずは君とのこともあるし、先に書いたように何かを決断するにはあまりに心と身体の余裕がなさすぎるのでいったん棚上げ。花屋がバラのフェアを始めていて、あれもこれも欲しくなっている。本当にきれい!それから、肩の具合とお肌のこと、保険のこととか気になることはたくさんある。大人はすごいんだなと思う。ちゃんとした大人たちに憧れるし、尊敬する。僕はといえばぜんぜんで、毎日精一杯でやってられるか!なんだけど、昔より好きなものが多くなっていて、まあ楽しいのかなとは思っている。今日は本当に大変で辛い1日だったのに、眠る直前にはこんなことを考えている。そういう日もあるのだ。


▼そしてこういう口調(書調?)で書いてしまうことの発生条件を知りたがっている。僕はこの人のことを「ひらがなさん」と呼んでいる。おしまい。