2014年8月26日の断片日記

▼毎日毎日疲れるために疲れから回復するのはとてもバカみたいなのでやめた方がいいと思った。
 
 
▼僕の最後の日々に、君は何を思うか。君は僕に理由をくれるが、君自身を僕は説明することができない。わたしのせかいにおける君は君自身ではない。君自身にたどりつく過程において、わたしのせかいそのものを見つめるというアプローチで獲得された「わたしのせかいにおける君が君自身ではない」という感覚は、君自身が何でないかのひとつの証明であるが、何でないかを証明するためには君自身が何であるかをどこかで理解している必要がある。思索し、内部と対話すること、過去に死んでいった自分の墓をあらすこと、受け取り直すこと、能動的な愛…それらすべての中に答はあるのだろう。僕は知っているはずだ。君自身が何であるかを。


▼そう、僕の最後の日々…。僕の歩みに比してその進行速度はあまりに無慈悲である。このままではたどり着かないという焦りがある一方で、いろいろなところで我慢がきかなくなってきているのが分かる。我慢がきかないと暴れる人もいるようだが、僕はどちらかというと我慢できなくなって「やめてしまう」タイプの人間だ。
 

▼忍耐は精神に由来するか?僕はフィジカルに活路を見出す。が、体力を取り戻すためにする取り組みのせいで1日中けだるいという日々を送っている。それでも送れているということはやはり忍耐は精神に由来するということか。答えは否。忍耐は希望の有無に由来する。ゆえにもう少し取り組みを続けることにする。いかに自分を欺き続けることができるかということが真理への途中にあるというのも何とも皮肉なものだなと思って、少しだけ可笑しかった。