2016年12月16日の断片日記

▼それでも逢う。おぞましいほどの緊張感とほんの一瞬の「これまで」。僕らはいつだってはなればなれになっては再び並んで、永遠なんて、永遠の愛なんて、と繰り返してきた。繰り返してきたのだが。
 
 
▼つまりは地獄の季節にも移り変わりがあるということである。魔法が解けた後の現在地。現在地…僕はいつまでも同じ場所で、同じ檻の中で、うろうろとさまよっているだけのように思える。君はどうだろう。そう考えながら自らに問う。人間は精神であるのだろう、と。僕と、君と、ぼくと、わたしと。紛うことなき精神であり関係である。僕は…どこまでいっても人間でしかない。
 
 

僕のコルデリアよ!
「僕の」―この言葉は、何を意味するものでしょうか?それは、僕に属するものではなく、僕がそれに属するもの、僕の全存在を包含するものです。僕の全存在といっても、これまた、僕がそれに属するという意味での僕の全存在なのです。「僕の神」とは、決して僕に所属する神ではなく、僕がそれに所属する神なのです。そして、「僕の祖国」、「僕の郷里」、「僕の職業」、「僕の憧憬」、「僕の希望」という場合も、これとおなじです。もし不滅ということがいまだかつて存在しなかったものとしたら、「僕があなたのものである」というこの思想は、自然の慣例的な運行をぶちやぶることになるでしょう。
(『あれか、これか』第1部「誘惑者の日記」)

キルケゴール先生は、いつだって偉大だ。