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2017年4月23日の断片日記

▼仕事を終えて電車に飛び乗る。駅に着くたびにホームに降りては車両を移動する。ギリギリ過ぎていつも乗る車両に届かなかったのだ。部屋の最寄り駅をやり過ごす。日曜の夜特有の穏やかさと倦怠が車内に漂っている。今日も「お別れのご挨拶」に訪れていただいたなとため息。心底ありがたいことだとは思うのだけれども、僕自身に「もうこれで最後だから挨拶に」という習慣がないからなのか、こんなときにどういう顔をすればいいか分からなくなる。役割として求められていられるであろうことを全うしながら、そういうことなら僕よりうまくやれる人間はたくさんいるだろうし、やっぱり僕でなければいけないことなどないのだよなあと思って軽く実存の危機に陥る。友人は僕の大きさをもっと自覚するようにと促してくるのだけれども、どうしてもそこまで尊大な気持ちにはなれない。謙虚なんて殊勝なもんじゃない。自己評価の低さは、初めから自分に何の期待もしていなければ傷つくこともないでしょという弱さの表れであることはずっと前から気づいているのだった。だからこそ本当の優しさにずっと憧れつづけているのだし、自分かわいさの誘惑と縁を切ろうともがいているのだ。渋谷で一気に車内が開ける。活字が入ってこない。ふた月連続で朝帰りで1か月がスタートして以来ずっと眠い。目的地まであと少しだ。閉店前に滑り込めるかな。
 
 
▼地元にいた頃は街の中にある種の擬態で紛れ込んでいるだけでここに自分の居場所はないとずっと思っていた。それでもどこかへ行けるはずもないと思い込んでいた僕は、就職も地元で、というつもりだったのだけれども、何かの手違いで都会に出てきてしまった。そしてそのままふらふらと10年近くが過ぎてしまったわけだけれども、いまだに異邦人というか彷徨いつづけている感覚が抜けない。お客さんとまではいかないが、どこにいってもお前の来るところじゃないよと言われている感じが続いているのだ。目的地を告げるアナウンス。何食わぬ顔をして降りる。原体験における情報量の差は恐ろしいなと思う。都会っ子の余裕が視界に入る。君のことを考える。そう、ここは主に君のために来ていた街で、向かう先は君のために見つけた店だ。もう何度も足を運んでいる。それでも相変わらず僕の周囲だけ解像度が低いのだった。ひとりだな、と思った。君に会いたかった。でもそれも気のせいだったのかもしれない。すぐに別のことを考えていた。
 
 
▼大きな本屋にも寄った。あんなに読みたい本があったはずなのに、結局『批評理論入門』1冊だけを買った。部屋には読まれるのを待っている本がまたどんどんたまっていっている。帰りの電車ではカバンに入っていた本(いよいよカントが何を言っているのか分からなくなってきた)でも購入したものでもなく、電子書籍をぼんやりと眺めた。一度座ってしまうと立ち上がるのも億劫だった。そういう時間が続いているなと思った。