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2017年4月30日の断片日記


wowee-zowee.hatenablog.com
 
この行間と続きを少しだけ書こうと思う。あの娘の「せかい」が転がり込んできたあの夜には実はいちゃいけない人もそこにいて、おそらくそのせいで事態はほんの少し複雑になってしまったのだろうということを、約束があっさりと霧散したあとすぐに思う。あれもそうだ。これもそうだ。思い当たる節がたくさんある。誰かに夢を見せられたなら悪くないのかもしれないけれど、僕は僕でまた1つ悪い夢に顔を突っ込んでいるような感覚になる。何年か前、サンボマスターの山口氏が「僕はその人にね、ありがとうって言いたかったの。だけどありがとうって言う前に、俺は何でいなくなっちまったんだこの野郎ってそんな言葉が出てきちゃったんだ」ということを言っていた。そんなもんだよねと思う。同時にそのことに対する後悔というもの、おそらくはそういうものを何に昇華するかということを僕らは問われているのだろうとも思う。他でもない自分自身に。
 
 
▼それでも明け方の街で駅に向かう大人たちの顔とすれ違いながら今への憧憬を新たにしたわけは、何もたくさんの生徒たちがしてくれた(今のネットワークというのはすごいのだな!ということも改めて感じた次第)ことをふり切らなければ思い出にからめとられて死んでしまうと感じたことにだけあるのではなかった。つまりその終わりと何かの始まりの折に、僕の傍らにはあの子どもたちも、君も、あの娘もいないのだ。だからこそ「今」に立てるのではないか。月のはじめに「お忘れ物はありませんか」とあの運転手は言っていたけれど、ほんとうは忘れ物だらけなんだろうと思う。でもそうやって何も持っていない状況にあえて立ったからこそこの年月があったわけだし、そう思えば今に生きることを繰り返せればきっと(少なくとも)僕の役割としての前途は明るいだろう。もし暗ければ自力で照らすか明るいところへ向かうまで、などと思っている。産みの苦しみはあるにしても。
 
 


この2曲の間にあるもの。そういうことだと思う。慎重かつ大胆な気持ちで初めから何も持たなければ、穴が開くこともない。結局は自分の持ち物は、自分に持てる範囲にしかないのだから。