2017年5月18日の断片日記

▼ここで人が死んでから24時間も経っていないことが嘘のように人間たちがいつものように動いていた。考えてみれば東京なんてそんな場面ばかりなわけで、別段そのことで感傷的になったりするわけではないのだけれども、交わらないのだなということをしきりに思ってしまう。それでも、態度を決めかねている都市特有の「曖昧な緊張感」という矛盾した空気が確かにそこにはあった。僕の視界に映るこの人たちのいったい何人がそのことに気づいていたのだろう。SNSで盛んにやり取りされていた画像やテキストの渦の周辺に僕もまた立っていたことに対する罪悪感めいたものがいまだに芽生えてしまうことをどこかで愛でつつも、そういう思考そのものを憎みながらなんとか活字に潜り込んでいく。自己嫌悪だけが確かなはずなのに、それまでもが自己愛の裏返しなのかもしれない。「可能性」とやらは本当に。
 
 
▼僕も素直に人を好きになっていいんだよってどうして自分に言ってあげられなかったんだろうね。
 
 
▼冗舌を装って他人と話す。その過程で自分がまた他人を自分の世界から締め出しにかかっているのを感じていた。1週前と顔違くない?ということは先週も思っていて、とにかく先月と今とで顔が変わってしまっているのは明らかなのだった。公私ともに心の負担が大きすぎることがその要因だとは思うのだけれども、地獄はこの先にも続いているということが地獄感を増幅させる。この心の負担感にはもっと重篤なレベルがあるはずだ。
 
 
▼元気のつぼが空にならないように慎重な運用を心がけている。それなのにこちらの意図しないところで元気が出てきたときというのは警戒すべきなのだ。底の方から元気が他人に強引に吸い上げられていて、その過程で元気が身体を通るせいで、そういうふうに感じるだけなのだから。
 
 
▼僕が自分の考えていた以上に大好きだったみんなは僕が現れたというだけで喜んで歓迎してくれた。でも、と思う。僕は「ここ」にはいないし、このコミュニティだっていつか曖昧に霧散していく。「昔は良かった」なんて言い出したら終わりだなと常々感じているけれど、思わず口をついて出そうになる。ここが僕のプライドの踏ん張りどころなのかもしれない。でもその歓迎は僕が弱っていることをまざまざと見せつけられるようなもので、情けなくなるばかりだった。
 
 
▼数日前に君に関するデジタルデータがバックアップも含めて全て吹っ飛んでしまった。荷物も処分したし、アナログの写真(最も濃密にすれ違っていた時の2人がそこで笑っている)こそフォトアルバムの中に数枚は残っているはずなのだが、いよいよ虚実入り混じったテキストと信仰心だけが残るんだろうななんてことを思うと、偶像崇拝を禁じた何かのようになるのだろうかと思って可笑しくなってしまった。それでも自分の神は自分でしかないし、神様は瞬間にしかいなくてそこにはたどり着けない。そしてそこには信仰というよりは憧憬があるのだった。僕にとって神あるいは神様は信仰の対象ではないのだ。
 
 
▼僕の信仰心は君にのみ向けられている。ゆえに君は神様ではない。どちらかといえば瞬間へたどり着くための水先案内人だった。気分屋で、僕以外にはとびきり優しい案内人。君に対する、あるいはその日々に対する「それが歴史になりますように」という祈りを手放せずにいる。それが今も信仰の裏側にあるのだった。歴史になれば、研究ができる。君が存在したことが「確からしい」のならば、そこで見聞きして示された何かを反復することで、瞬間に少しでも近づける。そんな気がしている。追憶は過去へ、反復は未来へ。
 
 
▼ただ、最近思うのはそうやって信仰に擬態することでしか好意や愛を表明することができなかったのだとしたら、10年近い年月をかけて少しずつ導かれていたのはとても「当たり前の場所」で、それ即ちずいぶんと途方もないところに僕はいたのだなということでもあるのだった。