2017年6月6日の断片日記

▼この数日、呼吸ができていないと感じる。わずか10分ばかり生活に時間をまわすことができ、ねんがんのぞうきんをてにいれたぞ!がどんなに心躍ることだったか。疲労とストレスで体調を崩していて、発熱で朦朧としている。でもこれは風邪のそれではないのが経験から分かっている。原因の要素が消えるか僕がそれがある日々に適応していくかでしか症状は緩和されないヤツだ。だから相変わらず遠回りして帰る。そして部屋に戻ってからバケツによっこいせと水を汲んではベランダをごしごしと拭いている。わたしには、たくらみがあるのだ。
 
 
▼最近死にたくないなとよく感じる。したいことがたくさんある。でも時間が全然足りない。代わりがいるはずのことに精を出して、僕の最後の日々は僕が歩むしかないのにほったらかし。どうしてこんなことになっているのだろうと思う。そしてまた役割の周りに人が集まり始めて、僕の人生からは人がいなくなっている。帰り道。人通りの少ない夜道を本を読みながら歩く。梅雨の時期になったらこれすらもできなくなる。毎日普通に本が読めるくらいに夜は明るくて、感謝しつつも苦々しく思う。知らないふりをしながらページから目を外し、街の様子をこっそりとうかがう。僕は絶対誰かを探している。街はそのことを知っているからいつも知らんぷり。でも少しほっとして…。
 
 
▼同じ車両に乗り合わせた人が、乗り換え先の車両も一緒だった。そこにはその人と待ち合わせていたと思しき人が乗っていて、お疲れ様の挨拶もそこそこに2人で思い思いの時間を過ごしていた。とてもよいなと感じた。話したいときに話せて、黙りたいときに黙る。たったこれだけのことなのにそれはなんだかとても得難いことのように思える。呼吸すらままらない僕にとって、そのことは自由のあらわれのようで。尊くて、遠いなと。