2017年4月15日の断片日記

▼子どもがくれたディズニーのお土産を部屋の鍵にぶら下げている。これまでは6年前に横浜で買った世界で一番有名なビーグル犬のキーホルダーをつけていた。これで2つぶらさがっていることになるのだけれども、その色合いと質量のバランスがとても好みで、仕事に行くときと帰るときにそれぞれ1度ずつはポケットから出して眺めてしまう。そしてそのたびに思うのがコートやジャケットのポケットが好きだなということで、それでもぽかぽかとした陽気のもと機嫌よく歩いていてももう少ししたら上着を着られない時期もやってくるんだよなあと気づいてまあまあ台無しにしてしまう。
 
 
▼新しい人が入ってきて一所懸命まじめに働いている姿を見て嬉しくなっている。そして「新人に限らず、たぶんみんな頑張ってるんだよな」とかひとりで納得している。とにかく最近はそんな気持ちなのだ。色んな人を見て、がんばっているところを探してしまう。今までよりもアンテナを高く張って声をかけたり手伝ったりしている。できることやしたいことはできるうちにしておきたい。生き方に対する後悔は、沈んでいるときと満たされているときのどちらにも襲ってくるものだ。それでも僕は過去の自分を恨んだりはしないし、たとえ過去に戻れても同じ選択をしていたに違いないと考える人間だ。役割に袖を通しているとき、「変えられるのはこれからのことだけだよ」ということをよく言うのだけれども、根っこにはだから今を生きないとねということがあってつまりは究極的には瞬間をとらえたい、そこにとどまりたいといういつものアレになっていく。
 
 
▼一方で最近は並行世界のことも考えたりしている。向こうでは周りのみんなとどんな関係なんだろう。3姉妹とは本当の家族なのかもしれないし、あるいは君はスクリーンの中にいるのかもしれない。あの娘とは同級生だ。後輩たちが先輩かもしれないし、あいつはまだあちこちで遊んでいるのかもしれない。なんとなく、「独り」は嫌だななんて思えるような関係性であれば嬉しいかな。正確には、「ひとりは好きだけど、孤独でいたいわけではない」ということが屈託なくそこにあるような人間だといいよね、なんて思う。そっちの僕に対して。
 

2017年4月13日の断片日記

▼お別れの日に急かされて、いったい僕は何をしているの?とぼくが語りかけてくる。それでも少し思案した後に「したいことをするのは別に悪いことじゃないって気づいたわけだし」などと考えて結局動き出していく。本当にしたいことを見極めることについては慎重にあるべきだけれども、軽いステップで幸せになる練習をしておかないといちばん大切な誰かを幸せにはできないのだから。身体が資本、そして「わたしのせかい」がすべての源泉。瞬間が美しいなら、その集積は?
 
 
▼甘やかされたいなあと笑うあの娘に何事かを返しながら、肯定されていることはとても大事なことなのだなと思う。役割ではなくて、それを着ている生身の人間への敬意。尊厳へのオブセッションは何度も書いた。自分自身で尊厳と誇りを作らないとねというのは今でもそう思うのだけれども、いつぞやのもそうで他者から敬意を受け取ることにはまた別な意味がある。きっとそういうことを繰り返していくうちに、僕は役割以外の部分で他人を信用して敬意を表明することができるようになるのかもしれない。そのことが何となく分かってきただけでも、大きく前に進んだ感がある。
 
 
▼みんなが同じ動きをしているようなライヴが苦手で、それぞれが自由に身体を揺らしているようなのが好きだ。子どものむちゃくちゃな動きとか、ああいうものへの憧憬もある。
 

DYGL “I'M WAITING FOR YOU”
Albert Hammond, Jrのプロデュースによるフルも楽しみなDYGLのこのライヴ映像がとても好み。みんな思い思いだ。そして聴きながら、あるいは聴き終えた後に誰かの顔を見たくなる音楽と言うのはロマンティックで良い。