重ねられた生活 20171223~1229

1223(Sat)

結局あまり眠れぬまま朝。ストレスの証を携えながら、一番気に入っているネクタイとジャケットの組み合わせに袖を通す。電車に揺られて、はしゃぐ学生たちと憂鬱な大人たちを流し見る。徳を積んで、子どもたちと談笑して、他人の不安とストレスをいなしていく。誰が人生か。
 
夕刻のあなたとの間には(自分でも驚いたのだけれども)確かな気まずさがあって、すわ文字でのやり取りの意味よ、などと思う。それでもそこに土足でずかずかと入っていってはその空気を投げ捨てる。そのうちいつもと同じになって、いつの間にかいつも以上に僕らはうまくやっていた。あなたは僕といたがったし、僕は僕で肩の力の抜けた愛を垂れ流していた。言葉に導かれて、言葉に縛られて、それらを是としてかつ望んできたけれども、もっと軽く自由に足場を移動することを自分に許してもいい頃なのかもしれない。あなたの幸せな話を聞いて、笑い合って、分け合って、心配とねぎらいを交換する。頑張ってくださいね。楽しんでおいで。そんなことを言いながら。僕らは惜しむようにして別れる。君は僕を置いてけぼりにしてばかりだったことをぼんやり思い出し、望んだようにしかならないし、見ればそうなるのだということを考える。ホームに滑り込む電車が運んできた風がそれらすべてを吹き飛ばしていった。
 
 

1224(Sun)

子供たちとクリスマスに関する冗談を言い合いながら、窓の外にふと目をやる。その日がどういう日であれ、見る場所によれば普段と何も変わらない。その尊さを思いながらも、季節のイベントがあるからこそ見られる景色があるのだよなということを思う。夜の寒さに震える。やはり気がつかないうちに冬になってしまったのだ。会いたい人がたくさんいる。それだけでも良い人生だと思っていいのかもしれない。
 
 

1225(Mon)

ようやく『小沢健二の帰還』が届いたので読み進めることにする。『神学大全』も同時に届き、この先にはサニーデイ特集のユリイカの発売も控えている。仕事をおさめたら学校の方の勉強を進めなければという思いはあるが、ここしばらく読み物に全く触れられていないので時間を上手に作ろうとそう思う。
 
 

1226(Tue)

調べなかった自分が悪いとはいえ、せっかく早起きして電車に乗ったのに乗り継ぎで待たされて、これなら3本遅くても同じことだった。仕事も相変わらずで(相変わらずでない日などないのだ。だから相変わらずなのだ!)うんざりしっぱなしなのだけれども、そこは大人なのでなるべく陽気に過ごすようにしている。
 
夜に好きな人の好きなものの話を聞きながらふーんとかいいねとか言いながら歩く。今までと変わらない関係でありながら、それはきっと今まで以上の感情のやり取りで。こうして話しているということ、そしてあなたが幸福そうな顔をしていること、それが僕の中でどれだけ重要なことになっているか、きっと自分が思っている以上にそうなのではないのだろうか。
 
 

1227(Wed)

夜更かししたのでねむいのです、とぼけぼけのあなた。そんな今日だったからいつもみたいに待たせるのも悪いかと(まったく、特別でない誰かを待つ意味が僕にはよく分からないよ!)そそくさと夜に投げ出されにいったのだけれども、気づいたら後ろをトコトコとついてきているから、ほんとよく分かんない状況になってしまったなと思いつつ、くるりと向き直して愛を振りまいて甘やかしてみたりする。ふにゃふにゃと笑いながらわけのわからない方向へどんどん歩き出す癖をしょうがないなにフレーム・インさせながら、おいでこっちだよと導いては、聴いてくださいよ見てくださいよを受け止めていく。来年も大事にするよ、という僕の言葉をあなたはどういう心もちで聞いているのだろう。互いに意地悪だよな。そしてまた、共犯関係のことを思い出す。
 
部屋に戻って『ハチミツとクローバー』を何年かぶりに読み返す。もはやきっかけは覚えていないが、最初にふれたのは確かローティーンの頃だったはずだ。想いというのはこんなにもすれ違うものなのかしら、と素直に思ったものだった。1回目の大学生のときには余り読み返さなかった。成長物語の側面でさえも、当時の自分には確かになじんでいなかったように思う。今になって触れ直すのにはたぶん理由があって、ここに書かれていることと同じようなことを現在の僕が抱えているからではないだろうか。そして奇しくも今僕は学生でもあるわけで。
 
 

1228(Thu)

労働は続くが年の瀬である。年間ベストはきっと年明けにでもアップできるだろう。音楽以外のことについて列挙しておこう。
カルチャー、エンターテインメントについてはやはりNetflixに加入したのがトピックだ。オリジナルで良かった海外ドラマは『13の理由』『ハウス・オブ・カード』『ラブ』『ストレンジャー・シングス』『マスター・オブ・ゼロ』『ベター・コール・ソウル』『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』『マインドハンター』『アメリカン・ヴァンダル』あたりかな…他にもたくさん観たなあ。今は『マンハント』観てます。
 
17公開の映画は観たいものがたくさんあった。映画館には年に1回行くか行かないかだけれども、今年は2回行った。『パターソン』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』どちらも抜群に良かった。その他観たかった作品群はソフト化されるのを待つ。過去作品についてはNetflixで海外ドラマに流れてしまったせいであまり観られていないが、『ワンダフルワールドエンド』については熱量のあるものを書いてしまった。名前を呼ばれるということの意味。その他邦画だと『告白』も実存主義で良かったし、『リトル・フォレスト』もフィジカルを通じてメンタルに訴えかけるものがあって感動した。結局橋本愛への信頼が高まった1年だったのかもしれない。彼女と玉城ティナが僕の中で2トップです。なんの?
 
詩については最果タヒとの出会いが全てだった。思想関係はようやく腰を据えて大きな流れを追い始めた。今はトマス・アクィナスまで来ているが、やはりアウグスティヌスの実存的な部分に感じたシンパシーは大きかった。絵画はヴァレリウス・ド・サードレールの『フランドルの雪』がフェイバリットへ仲間入り。人間の不在と見ればそうなるの同居。私生活では君との8年にわたる冒険が終わった。それを歴史とするための1年だったともいえる。そのためにサニーデイと歩んだ日々の記事を書いた。あの娘が転がり込んできたり(それはお別れに急かされたほんの一瞬の出来事だった)、好きな人と出会ったりしたのも全部つながっている。だからこその、I guess everything reminds you of something.なのだった。君がいないことは君がいること。信仰、敬虔さ。愛を内側に飼ってしまったら恋はうまくいくのだろうか。でも実は去年の今頃、ついに日の目を見なかった年間ベストの中で、愛を越えて行くのは恋の力だみたいなことを言っているのだった。
 
旅行でよかったのは山陽地方。焼酎が飲めるようになった。お酒でいうならクラフトビールをたくさん飲んだだろうか。今年もお菓子屋さんをあちこち開拓したな。服関係。今年買ったマスターピースの鞄はここ数年でも上位のお気に入り。ブラックレーベルのショルダーバッグが壊れてしまったのは残念だった。財布も新調し、ネクタイピンも今年は3つ増やした。何年か前に買ったLOVELESSのコートがまだ現役で嬉しい。新調したアイロンも具合がいい。シャンプージプシーだったが、ミルボンのやつに落ち着いた。ベストふりかけは今年ものりたまで、ベストおやつはPABLO監修のチョコパイ。豆乳とくるみパン、めかぶをたくさん食べた1年だった。kindleで本を読むようにもなり(まだ紙派だけど)、spotifyにも加入した。う~ん、国産企業よ。スポーツはひいきのチームがまずまずのシーズンを見せてくれて、よかった。あと、また学生になりました。テスト頑張ります。まあ今年はそんな感じで。
 
 

1229(Fri)

泊まっていってもいいんだよ、と言われたけれど労働につながるものを脱ぎ捨てたかったのもあって、ん~今日は帰るね、よいお年を。でも駅に着いたら最寄まで行ってくれる電車は終わっていて、行けるところまで行ってあとは歩くことに決める。タクシーでもよかったけど歩きたかった。グーグルマップに案内されながら寒空の下てくてくと歩く。知らない道は楽しい。でも街灯がないところやそもそも道がないところに連れて行かれたりしてまあまあ危険だった。夜中だったので誰も歩いておらず、車の音にかき消されるくらいの声で、少し歌を口ずさんだりした。1時間ほどで部屋にたどり着く。山戸結希監督の新作が公開されていた。
 
vimeo.com
(リンク先のvimeoのページには訳も載ってます)
 
くぎ付けになって、それから静かに泣いてしまった。これはすごいことなのです。否定からのそれでもの最前線。語られていることの強度も、映像も。自由への憧憬。そして東京はダサいって、ほんとそうだよねって。映し出される新宿の街を見てもそう思う。自由でないことって、どうしようもないほどにダサいと僕は思う。
 
山戸監督といえばこれも僕には大きくて。

玉城ティナ主演・山戸結希監督作品『玉城ティナは夢想する』
 
ぼくも玉城ティナになりたい人間だから、直視するのが辛い動画でもある。彼女は確かに彼女になろうとしていて、それは命の遣い方の選択ゆえそこには自由があるはずなのだけれども、それでも人の思いや念、憧憬といったものの感情の強さも確かにあって、ぐちゃぐちゃになりそうなところの半歩手前で踏みとどまっている様がここには宿っている。そしてやはり玉城嬢はときどき本当に君に似ている。今週はここまで。
 

重ねられた生活 20171216~1222

1216(Sat)

伝えてしまったからと言って何かが変わるでもなく日々は進んでいく。二人で前日の残り香について話しながら笑い合う。帰り道の姿だって、これまでと同じだ。でも二人の間には二人にしか分からない形で「伝えてしまった」という事実が横たわっていて、「ワー!おっとなー!」などと無邪気に思ってしまう。
 
無邪気、そうなんだか最近はずっと子供のような心もちなのだった。そしてここでいう子供のようなものというのはまさに「ような」ものであって、実際の子供よりももっとずっとつるんと、あるいはすとんと、したものである。
 
予防線を張るわけでも何でもなく、ただその時の様子とかいろんなことを総合して考えるに、まあ断られるんだろうなというのはもう分かっている。本来想いを伝えるというのは最後の意思確認のようなもので、ふわふわした状態で放り込むような代物ではないことは十分に分かっていて、それでも今回はとっとと伝えないといけないような気がしたのだった。結果は、そりゃあ望ましいものというのはあるにしても、それでもこれまでのどのそれよりも思いつめたところがなくて(だからといって軽薄な気持ちは一切なく、いたってまじめなのだけれども)、いったいなんなんだという具合である。ずいぶんと久しぶりに新しく「友人」になれそうな人と出逢えたその喜びが何よりも勝ってしまっているのかもしれない。それでも惹かれているのはどうやら確からしかったから、自分の中でスタンスをハッキリさせておくための何かが必要だった。だから、局面でないことは分かっていたけれどその言葉が口をついて出たのだった。
 
もちろんそんなもの、こちら側の勝手な事情であって、心理的に負担をかけてしまっていることへの罪悪感はある。このまま胸に秘めておくという手もあるよなとよぎったこともあったが、時間が解決してくれないものがあることをこの8年で僕は学んだので、明確な線を欲してしまった。まあそもそもこれまでの人生で好きな子に好きだと言わ(言え)なかったのは、1例だけだったので、敗戦濃厚であれなんであれ言ったのだろうとは思うけれど…。
 
1つの興味は心底屈託のない彼女が、いったいどんな断りの文言を寄せてくるのだろうかということだ。それがどんなものであれ、「これから」の否定は「これまで」の否定とイコールではないのだから、心配していることは何も起きないのだよということをさまざまに思案中の彼女に変わらない日常を提供することで伝えてあげたい。受け入れてくれれば一番嬉しい。もちろんそれは本音だけれども、どれだってそうなのだ。僕は彼女の人間性をいたく気に入っており、高く評価している(えらそうだナー)。だからこそ、次のボールを楽しみにしているところがあるのだった。以上、ボーナストラックはおしまい。
 
 

1217(Sun)

夜中にしばらくぶりに日記をアップロードできたので、その流れでこちらも久しぶりによそ様の日記をのぞかせてもらって幸福な気持ちになっていた。紙のおねーさんが「ふとグリーティングカードを送って、それを受け入れてくれる人が欲しい」と書いていて「わかる!!!!!」となった。
 
僕は他人に気を遣いすぎる一方で極めて自分勝手なので、それが義務的にならない、つまい送りたくなったから送ったんじゃ、送りたくないときは送らないのじゃ、ということが許される間柄というのを欲している。そしてそういう相手として自分を選んで欲しがっているところもある。
 
それで思い出したのは、つい最近首都高で夜の風景をBGMにしながらした好きな人との会話だった。特に理由もなく渡したお菓子のおみやげに恐縮するその姿を前に僕が言ったのは「プレゼントとか贈り物とかって、もっとカジュアルになればいいのにね」ということで。誰かに何かをあげることなんて、「あげたいから」が理由でいいじゃんねと思うのだった。それを言うと彼女は「なんでそんなに善が前面に出てるの」と笑い出し、僕もつられて笑ってしまったのだけれども、でも本気なのだった。もらった方も、一応の礼儀としてありがとうは言うにしても、いらなかったら軽くポイしちゃっていいと思う。僕はね。もちろん、それなりの理由があっての贈り物は、それなりの温度での対応が必要だろうとは思うのだけれども。それとは別に僕は人にものをあげるとすぐ忘れるので気をつけなければいけない…。
 
 

1218(Mon)

寒い!痛い!という気持ちとともに終電に乗り込むと、アナウンスが今までに聞いたことのない人の声で、それが終電という時間からすると、いささか暴力的なまでのハリツヤでなんだかうんざりした気分になってしまった。電車そのものからも普段は発してない音や揺れもあり、そして一つ気になりだすと…の流れで駅に止まるたびのブレーキの感じも癇に障ってしまうのだった。
 
刺さるような寒さの前にもこれもまた冬ではないと思ってしまう。部屋に戻って、アロマディフューザーを起動して、暖房器具にも熱を通す。着替えて、顔を洗って…とするうちに僕は今回、冬の入口を捕まえ損ねたのではないかと自らに問う。ならばそれなりの、過ごし方があるというものである。
 
学校。僕の難儀な思いとは裏腹に、提出したレポートはよい評価で戻ってきている。それはやはり嬉しいもので眠い目をこすったかいがあったなというところではある。つい数日前には大学の講堂で喋る仕事があったばかりで、そんな人間が一方ではヒイヒイ言いながら課題をしたためているのだから、分からないものである。
 
 

1219(Tue)

突然の胃痛でうう、という感じ。私生活のそれは全くストレスではないので、まあ仕事だよなあ。
 
帰り道、好きな人の放つなんとなくのぎこちなさを感じて身構えてしまった。だから言えなかったんだろう。悪いことしたなあ。結局この日は何事もなく改札をくぐってお別れ。明日仕事で遠出をするから、その近くで好きだと言っていた味のお菓子でも買おうかなとEvernoteに記してあるリストとにらめっこしつつの就寝。
 
 

1220(Wed)

少しの体調不良。テキストと電車の揺れ。電光掲示板を流し見る。地上を走る地下鉄だってのに、ホームから出るまでに時間をくう。退屈な会議。慣れた足取り、学生たち。年中無休の洋菓子店。クリスマスのオーナメントとショーケース。これを一種類ずつと、あと、あれを。アルバイト、長めの信号、そして夜。聞いてくださいよから始まる、あなたの幸せな話。いつも通りの風景。手を出して。あったかいでしょ。そうして、すっかり忘れていた。だから向こうも言えたね。だいじょうぶ、何も変わらないよ。それとは別にはい、これ。
 
向かい合わせのホームで控え目に手を振りあう。そんな二人の間に電車が滑り込んできたとき、ようやく泣いてしまいそうな気持ちになったのだけれども、結局は君と8年間にわたって繰り返していたことから執着のようなものをそぎ落としてもっと薄めてあるいは綺麗にしたうえで再生産するような日々となるのではないか、そういった類の予感を覚えてしまった。そんなの、全方位に対して失礼な話であるが、思ってしまったのだから仕方がない。なんかそのどうしようもなさに対する思いと、しっかり考えたはずなのに狼狽しまくっていたplease stay like thisの懇願の様へと向けられたあまりの愛おしさで、部屋へと運ばれながらずっと笑みがこぼれてしまっていた。僕が関係を壊そうとして、あなたは新しいそれのために分かりやすく線を引いた。その線を引いたからこそ紡がれる日々があって、ここから僕らはそれを携えて行くのだ。在り方は、多様で良い。僕と君が、そうであったように。
 

寺尾紗穂 - 楕円の夢
 
 

1221(Thu)

一晩明けて柔らかな痛みを遠くに感じながらも優しい気持ちと軽い体がそこにはあって、就業時刻よりふた足早く出社してしまう。少なくとも環境が変わってからでは一番のもりもり具合で仕事をやっつける。その裏で好きな人とはずいぶんと感傷的な言葉を用いて感情のやり取りをしていた。まったくエモい大人になってしまったぜ…。
 
脚色して、前後の順番を入れ替えたりしながら、真実とそうでないものとの間を行くような、そんな言葉を書き連ねて、まったく僕にはただ黙って聞いてほしいことがこんなにもあるのかと思ってしまう。異化して何とか日々を行くためのものだったはずなのに。何でも話したくなるような友人はいるし、彼や彼女らは話せば聴いてくれるだろうけれど、そういうことではなくて。
 
部屋に戻ってから年間ベスト記事を少しずつしたため始める。今年は書ききれるかな。
 
 

1222(Fri)

ぽっかりとした気分。ぼうっとしてしまうでもなく、せかせかと動いて何事かはしているのだけれども、空洞です。今回の僕の選択が、関係を進めるためのそれでありますように。名前なんて何でもいい。線を引くことで、引いたことでようやく言える言葉や適切な温度になるものがあるのだ。あなたが僕に言った言葉も、僕にあなたが言わせた言葉も、その線がなければなかったものである。明日という日を一体どんな顔して迎えればいいのか。そんなことに頭を悩ませて午前2時。土曜日は、ずっと前から始まっている。

今週はここまで。