2018年1月の断片的な目次

・ 1/ 1 ロールモデル
・ 1/ 2 この朝やけを、見せたい人がいる
・ 1/ 3 顔を見に行ってみようかな
・ 1/ 4 マインドが子どもだと言えばそうなのかもしれないけれど
・ 1/ 5 いないじゃん
・ 1/ 6 この人を離すな
・ 1/ 7 泣いてしまいそうだ
・ 1/ 8 決断(去年から決断してばかりだ!)
・ 1/ 9 次はどうしようかな
・ 1/10 この人を離すな(2)
・ 1/11 大人になってしまったのだな、と
・ 1/12 花だね
・ 1/13 理解者
・ 1/14 歩かされている(あるいは歩かせるために)
・ 1/15 学生は大変だ
・ 1/16 「お話するの、とっても楽しいです」
・ 1/17 僕に任せておきな、の安売り
・ 1/18 「寂しいだなんて、どうして僕にそんなこと言うのさ」
・ 1/19 長い闘いの始まり(痛かった!)
・ 1/20 偵察(あわよくばの敗北)
・ 1/21 スムースさの対極
・ 1/22 わははは
・ 1/23 やっぱり外から見たらそう見えるんだって!!
・ 1/24 サンキュー準急
・ 1/25 ぜんぜんだめ
・ 1/26 疲れてるみたい
・ 1/27 君は俺とならどんなとこ行きたい(まさやんは偉大だ)
・ 1/28 「またすぐそういうことする!」「僕そういうとこあるからなあ」
・ 1/29 あなたが自分のことを名前で呼んだ瞬間のこととかいくつかの些細な気づきを
・ 1/30 愛の歌に背つかれて与えるより多く奪ってしまうんだ
・ 1/31 「ぜったいウソだ~」「さてどうかな?」

重ねられた生活 20180120~20180126

0120(Sat)

学生としての1日。試験を受けてきた。これが思ってた以上にできなくて、でもそれがなんだか嬉しくてニヤニヤしてしまう。なるほどこういうことか、ということが分かったのと、これもいつかできるようになるのだというワクワクがそこにはあった。暗くなるまでキャンパスで過ごして、それから街に投げ出されていく。自分よりも大きなものの一端に触れている。そのことの高揚が僕を歩かせた。夜風は確かに冷たくて、街には関係があふれかえり、信号の待ち時間は長かった。過ごし方が変わって、過ごす場所が変わって、思う人が変わっている。未来を生きよう。過去にしか未来はないにしても。
 
 

0121(Sun)

やるべきことをやった1日で、そうしたらやりたいことに少しだけの問題が生じてしまった。
 
 

0122(Mon)

天候が悪いとよけいに仕事場の最寄り駅のナンセンスな設計が(そこにはいろいろな理由があるのだとは思うのだけれども)浮き彫りになって気分を害す。昼ごろに強くなりだした雪はあっという間につもってしまった。こりゃ帰りは面倒なことになるなと思いつつも、まあそれでも帰れないということはなさそうだから、ひとりずつ同僚を見送っては、帰宅のピークタイムを避けるようにして(つまりはいつも通り働いたということだ)仕事を片づけては、何時に着いて何時に出発するつもりだったのかすっかり分からなくなってしまった電車を乗り継いで帰路に着いた。
 
あなたとやりとりをしながら、雪が彩ったそれのことを思っていた。関係性に名前がなくても、お互いのことを知りあうことはできるのだ。距離をつめてしまったがゆえに距離をつかみ損ねているような会話をしては、お互い「年相応」とはかけ離れているねと笑いあう。この人の持っている自由と無限を肯定できて良かったと思う。君のそれと似ているようで根本的に異なっているはずの。いつか言語化できたら素晴らしいことだと思う。
 
 

0123(Tue)

2人にしか分からないことでくすくすと笑い合っていた。僕らの仲が、はたから見ても良好に見えるようなことを指摘されて、また曖昧に笑う。それでも僕らしか知らない出来事が確かにそこには横たわっているのだった。それについては妙なこともあるものだと思うのだが、わけのわからない方向に小走りで行ってしまってはふにゃふにゃと笑う彼女を見てはしょうがないなの季節にまたいることを自覚する。思えば、君と過ごした日々の中にも「仲睦まじい」と形容された時間が確かにあった。
 
お待たせ、の声をかけながら野暮なことを聞いてしまいたくなる欲求にふたをする。あなたの街に関するたわいもない話に切り替える。寄りかかり、それを自覚しては立て直し、記録的だという寒波の前髪と僕らの関係性の輪郭に眼を凝らしながら別れた。
 
部屋に戻ってNetflix「このサイテーな世界の終わり」の第1話を見て、なんだか感激してしまった。思春期特有の過剰な自意識と正統派ロードムービーな旅立ちもそうだけれども、何よりもガールフレンドを連れてきた息子に対して「よかった。ゲイかと思ってた。それでもいいんだがな、もちろん。」と理解者を気取る風を見せる父親に「私がゲイで、彼がアセクシャルかも。最近は色んな人がいるわ。」と女の子が返す場面が最高だった。いつだって正しい時代感覚を持ってるのは若者だ。そう思う。
 
  

0124(Wed)

のんびりと進む電車の中で隣り合わせで揺られている。似ているところ、似ていないところの両方を知りあっていく。窓に映る姿、以前とは全然違うように見える。色んな感情をわきに置いたとしても、この人のことを知りたいと素直に思った。以前は君の中に僕のたどり着くべき場所へのヒントを探していた。そうではなく、この人自身を知りたい。そう思うこと自体はとても普通なことだ。むしろそれが先に来なければいけなかったはずなのだ。だからこそ、今日の7駅分は自分には大きな意味があったように思う。「優しくし合うことが許された」関係性というものを欲さないではないのだが、現状のルール下でやれることをやるしかない。それまで2人で冗舌に過ごしては笑い合っていたのに、別れ際はただ黙って視線を合わせ直したというのはルールの範疇だったのだろうか。
 
1時間ほどかけて自宅とはぜんぜん異なるところへ降りる。終電までの限られた時間をつかってあちこち歩く。目の前の景色が、数日後には全然違うふうに見えているはずだ。良い時間になりますように。願わくば、ルールが拡張していくほどの。
 
 

0125(Thu)

自分の限界が見える。無理をして拡大に賭けるかもしくは壊れるかを試すべきなのか、クオリティを落としながらうまくやる方法を探るべきなのか。曲がり角である。若さにはそれだけで価値がある。でも若い人にいろいろやってみろとか無責任なことを言うつもりもなければその時間を俺にくれ!という願望をぶつける気持ちもない。どうせそうであったとしても、自分が自分であるのならば同じようなことになっているはずなのだ。受け入れること。その「受け入れ方」というものを問われているのだ。
 
  

0126(Fri)

年間ベストの更新も終わったことだし、disc2的な話をしておこうと思う。毎回そうなのだけれども、あれは単純な好みで並べているわけではなく(もちろんベースはそうだけど)、振り返った時に自分にとってその年がどういうモードだったのかが分かるように、ということを考えて並べている。だから単純に聴いた回数とかで並べ直すと全然ちがう風景になるのだった。根っこの部分の人づきあいに対するスタンスとか、億劫さ、臆病さそういったもろもろのことは変わっていないのだけれども、君と本当に離れてしまったことによって消失してしまうのだろうと思っていたこれまでの命の遣い方が、対象と温度を変えても続いていくことが分かって、なるほどこれが僕の生きる作法なのだなということを愛憎入り混じった感情で見つめた2017年。自由を求めるということと、それには尊厳だけでなく「場所」が必要であること。そんなことを考えていたのだなと、この並びは僕に教えてくれている。本当に面白い。今週はここまで。
 
etlivsfragment.hatenablog.com