2017年4月20日の断片日記

▼荷造りをしながら、今なら君が僕のもとへ残していったものの意味が少しだけ分かる気がするなとか思っている。それでも君が残したものたちは相変わらずそのままにしつつ、僕のものはどんどん捨てていっている。子どもや親御さんからもらった手紙は後生大事にと考えてとっておいていたのだけれども、このあおい先生はもう死んでいるなと感じたのでそれらも捨てることにした。初心を思い出すためにも…という気持ちもなかったわけでもないけれど、性格的に初心とそれにまつわるもろもろを忘れることは無さそうだし、他人の思いが封じられたそれらをトリガーとして用いることにも少し抵抗があった。それから(そのあおい先生はもう死んでいるので)これらは歴史になったのだという感覚もあった。だから、思いのほかためらいはなかった。
 
 
▼そうこうしていると先生、と呼びとめられ子どもからまた新たに手紙をもらう。そこには別れを惜しむ言葉とそれ以上の熱量でひとりでしっかりやっていくという旨の言葉が書いてあった。僕はそれがとても嬉しかった。ぼんやりと、正しいことをできていたのかもしれないなとすら思えた。返事を書こうとその場で決めた。あの人とやりとりをした便箋とはまた別のものが必要だ。買いに行くのも久しぶりだ。といっても2カ月ぶりか。手紙は、道具を選ぶところから届くまでの工程すべてひっくるめて本当によいものだ。
 

2017年4月17日の断片日記

▼正確には昨日の夜のことなのだけれども、うっすらと夏のにおいがして、ああ気温が上がったのだなと思った。もちろん日中外を歩いていて「暑いな」とは感じていたのだけれども、それと「気温が上がった」と感じるのはまた別の話なのだった。気温だけでなく気圧や空模様などがコロコロと変わっていくのにそろそろ身体がついていかない頃だ。降ってほしくないときにばかり雨が降り、吹いてほしくないときにばかり強い風がふきつける。「時の流れと空の色に / 何も望みはしない様に」という一節のことを考える。時の流れにも空の色にも、僕らはいつだっていろんなことを望んでいる。あれは、そういうことを言っているのだ。
 
 
▼結局はその人でなければいけないことなんてほとんどないのだと思う。たとえば誰かにとって僕が特別だったとしても「それはぼくぢゃないよ」であるし、僕にとっての君だってそれは本当の君ではないのだから、互いに互いでなければいけないことなんてずっとなかったのだ。それぞれがそれぞれの「わたしのせかい」にそれぞれの僕や君を住まわせているだけなのだ。あるいは役割を。交わらないよな、と並行世界のことをまた考えている。