2016年6月13日の日記

▼余裕がなくなってきて、こうして文字にして異化する作業などを通して自分をなんとか立たせるといったようなことすらままならなくなってきたときに、他人からの承認を必要としたりするのだろうなと思ったのは、赦されている僕自身は、他人をどれだけ許すべきなのかと考えたから。僕もまた心と身体を持った同じ人間であるのに、僕にはどうしようもないようなことや、粗雑なことを言ったりされたりする。受け手は、それが届いたときからずっと受け手なのだ。今までは何ともなかったようなことでも腹を立てたり暗い気持ちになったりするが、全部知らないふりをして生きていくこともできるだろう。でもそれには、尊厳がきっと必要だ。