2016年6月17日の日記

▼29年目が終了したらしい1日は深夜と朝の間までの労働で幕を閉じ、30年目が始まったらしい1日は目が回るほどの忙しさに振り回されているうちに終わってしまったようだった。30になることにもう少しじたばたするのかとも思っていたが、何か意外なほど頓着しなかったようだった。むちゃくちゃな生活を続けていたから、もうずっと前から肉体も精神もそれまでとは違ってきているのを感じていたし、もうほとんど年齢という数字には意味はないなと思っていたからかもしれない。


▼そんななかでも思うのは…これは年齢に限らず、毎年のように思っていることなのだが、間違いなく「その日」が近づいてきているのだ。そしてこれは年齢に少し関係があるが、油断していたらあっという間にさよならも言えずに死んでしまうような歳になったのだ…。もちろん、瞬間にたどり着いてその正体を暴くまでは死んでやるもんかとは思っているが。書物を読む体力と集中力があるうちに、そして「見る」ことができているうちに、見ればそうなるを行き、たどり着かねばならない。


▼何ヶ月も遅れてカードを書きながら、それでも来年も君のことを祝うつもりがどうやらあるようだということに気づいたとき、妙な安堵感を覚えたのだった。僕にはしなければならないこと以外のこともあるのだと。