サニーデイ・サービスがそばで鳴っていた僕の10年とすこし disc8

▼イギリスのバンドの中で一番好きなのがThe Kinksで、アメリカのバンドだとPavementな僕は、つまりは結局何にも間にあわなかったのであり、それはサニーデイ・サービスについても同じだった。彼らが駆け抜けた日々を追体験しながらも、どこかで「またか…」との思いを抱いていた。僕を夢中にさせる存在はいつだってここにはいない。
 
▼それでもすっかり僕の生活や人生に欠かせないものとして鳴り響いていた彼らの音の間をぬって、その知らせは届けられた。再結成。そして、音源も出る。ソロ作も曽我部恵一BANDも聴いていたし、それぞれでやろうとしていたことは理解しつつも、やはりサニーデイ・サービスという魔法にかけられてしまった人間にとってその知らせはどれだけの胸の高鳴りを連れてきたことか。

『本日は晴天なり』(2010)

本日は晴天なり

本日は晴天なり

  

10年ぶりの8枚目。

 

サニーデイ・サービス「ふたつのハート」【Official Music Video】
 
そこには当たり前の顔をした10年後のサニーデイの姿があった。解散とか再結成とかは抜きで、10年ぶりに出た8枚目のアルバムが、ただそこにあったのだ。これには本当に驚かされた。と同時に流れた時間のことを思った。彼らに、そしてかつて彼らに夢中になった人たちにも、同じだけ時間が流れていたのだ。
 

あぁ愛はいつでも やさしくて かんたんで
だから今日は手をつないで歩こう
 
「南口の恋」

そんな人たちに向けて書かれた手紙のような作品。こんなに美しく穏やかな久しぶりの挨拶があるだろうか。
 
 

自身のなんでもなさから5年。

▼かけだすようににぎやかなオープナー「恋人たち」だけでも「ああ…サニーデイ・サービスだ…」だという感動に震えるわけだけど、ラストの「だれも知らなかった朝に」における

彼女25歳
実家を出て
白が汚れないように
暮らしている

これが自分のことだったのがとても大きかった。当時24歳だった僕はこのとてもていねいにしたくをする25歳の彼女を、確かに自分の中に飼いながら暮らしていたのだった。そしてこの曲の演奏時間6分17秒という数字の並びは、僕の生まれた日付と同じだった。そう、この曲で歌われているのは僕のこと…『若者たち』で僕の何でもなさを歌ってくれたのと同じことを、今度はリアルタイムでやってくれた。そのことがとても嬉しかった。
 
 
▼翌年、東日本大震災が起き、僕は生家も育った家も、街そのものも失った。それでもその惨状を直接見る気にはなれず(映像や写真はかなり執拗に見た。見なければいけないという強迫観念すら何年かに渡って抱いていた)その後何年も地元に足が向くことはなかった。僕はその場にいなかったという意味で当事者ではない。だから彼らの恐怖と痛みを真に理解することはできないのだ。その一方で僕の人生にまつわるものたちが海に飲み込まれたという事実の前では、かの地とは無関係ながらも隣で不安げにしている人たちと同じ温度でも決してない。
 
 
▼僕はそれまで以上に宙ぶらりんな存在となった。そうした存在は積極的にメディアで取り上げられるようなものでは当然なく、ほとんど可視化されなかった。でも僕と同じような人たちが一定数いたはずだ。彼らの後ろめたさと罪悪感、疎外感を思うと辛い。そんな気持ちにさいなまれていた頃、台所に立ちながらこの「だれも知らなかった朝に」を聴いては涙ぐむ夜が何度もあった。そして、台所に立っていたということは、生きようとしていたのだなと今になって思う。
 
 

美しく終わらせるために

▼20代半ばということは後半の入口手前。敗北主義、美しく終わらせることへのオブセッション、そうしたものの萌芽。その季節にあることを僕はまだ自覚していなかったのかもしれない。

偶然に誰かと出逢う
突然に恋におちる
そしてなにもなかったようにある日わかれる
 
五月雨が通り過ぎて きみの匂いを消してゆく
いつかはぼくらぜんぶ 忘れてしまうのだろう
 
「五月雨が通り過ぎて」

それでもこういう曲が傍らにはあったのだ。この頃の君は最も影がなく、ただただ、美しかった。


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