2017年3月11日の断片日記

▼いまだに態度を決めかねている都市(それはそれで意味も救いもあることだとは思う)を横目に、もはや「忘れない」とかそういうレベルの問題ではなく「忘れるわけないだろ」に到達してしまっている多くの人々にとっては、この日付自体に役割はないだろう。それはずっとそこにあるものなのだから。忘れてはならない者は覚えておけばいいだろうし、忘れたい者には忘れる自由(実際には忘れようとする自由、だろうか)が保証されていることが重要だろうと思う。
 
 
▼象徴と体現について辞書を引いた。意味としては重なる部分も多く、明確な違いを理解するまでには至らなかったけれど、象徴が体現を内包するようなイメージを抱いた。手持ちの辞書では象徴について大きくページが割かれ、象徴と比喩、象徴と記号がそれぞれ比較されていて、楽しく読んだ。象徴は形のない精神的なものを具体的なものに置き換え、比喩は具体的なものを具体的なものでたとえる。また象徴は対象同士の関係が1対多元的イメージであるのに対し、比喩は1対1である。加えて象徴に類似性は必ずしも必要がなく、また象徴であることが学習によって理解されるケースもあるが、比喩は類似性によって表されるものであり、学習ではなく感覚による理解が可能なのだそうだ。ちなみに、記号は象徴と異なり、意味するものの特徴を表さないようだった。
 
 
▼日本の生活文化における象徴の重要性みたいなものも記述されていて、それというのはこの国特有のものでないことは明らかだけど、確かにまあそういう傾向はあるのだろうなと。とはいえ文化も学習によって身につけるものだから、象徴に対する獲得された感覚(趣とかそういうもの)は、従来のものとは変わってきているのだと思う。それを「弱まった」と表現するかどうかはまた別の話だ。

2017年3月9日の断片日記

▼役割を脱いだところの対人においてハードルがぐっと低くなっているのを感じる(それでもまだまだそびえたっている感はあるが)。もはや何が原因でこんな風になってしまったのかも分からないが、それでも最近の具合を見るに、ずっと伸びたテープのようになったモラトリアムの中で夢を見続けながらも、誰にも分からないようなペースでリハビリを続けていたのだなと思う。もちろん崖下に向かって僕の背中を押したのも、そこから這い上がるのを支えたのも、その後ふらつきながら前進するために腕を引いたのも全部、君だったのだが。ただ…「あの時」僕は確かに生かされて(それは今もずっとそうなのだけれども)そこから今日まで何とかやってきて、それとはまた別の人生の可能性を(この可能性というのが重要で、かつ厄介な友人なのである)思えるくらいには、回復してきているのだと思う。陽性の力。地獄の底から引っ張り出されて中庸を行けたなら、理想的なバランスなのだろうか。


▼この「行く」とか「行け」(ゆく・ゆけ、と読むのだ)という響きを最近好んでいる。好んでいるけど、自己言及的だったり、自分で自分のお尻を叩いたりというときにばかり用いていて(それすなわち音声として宙に舞うことはほとんどないということである)、面白いなと思う。のだった。他人に対してはほとんど使わない表現だな。そういうのが、他にもありそうだ。


▼夕方から低い鍵盤音のような頭痛がしていて、「鍵盤だ!」と思えたことは快そのものであったのだけれども、そのこと自体に痛みを和らげる効能は無いのだということを知った。


▼締め切りがあるから書けるものもある。


▼「人に恵まれてるから次も大丈夫だろ」と思えるか「こんなに人に恵まれてるんだからこれは手放してはいけない」と思うのかの間に横たわる断絶と人生のコントラストを思って震える。僕自身は、その地平から一歩引いて、とりあえず「恵まれているなあ」と思ってもらえるようにありたいと考えていて、最近、自らを滅することはそこへの近道になるどころかそこから一番遠いところに僕を連れていくのではないだろうかということを学んだ。のだった。僕は自分にとって大事なことを、自分にとって大事なものを失いながらでないと学べないのだろうかなどと悲しくなりながら。