ノスタルジイなんて死んでしまえみたいなことを…Disc2

wowee-zowee.hatenablog.com
 
▼この話は実は自転車の昔の広告で「身分相応というけど気取ることも大切だ」みたいなコピーがあって、その言葉が本当に好きだっていうことから始まっている(のに全然違う着地をした。)
 
 
▼なぜ途中で話が変わってしまったかと言うと書いている途中に泉まくらの新作についてのインタビューを読んだからなのだった。

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まくら : 大人になってからのおセンチって許容してもらえない時があるじゃないですか? そうじゃないのに「何落ち込んでるんだ?」って変に励まされたり。大人になって無駄に励まされません(笑)?
 
ーー無駄に(笑)? どうかな。
 
まくら : 落ち込んでるように見えたら、本当は違うのに「飲みに行こう」とか言われたり。青春っていう言葉で連想されるのって10代くらいのことですよね。それをみんなはよかったって言うけど、よくなかったなと思う人も絶対いると思って。大人になったら大人になったで一生青春とか言ってる人もいるし、それが嫌なんです。別に青春が終わってもいいのにって思う。やっと終わったと思ったら一生青春とか言われて、ちょっと疲れるというか。だって、カンカン照りの2時3時がいいって言われているような感じじゃないですか? もうちょっと夕暮れがいいなって人もいるはずなんです。だから〈光は静かに強さを変える〉っていう歌詞を入れていて。その時その時をちゃんとそれらしくいたいというか、輝いてた時は輝いてた時でいいけど、輝くことを強要されたくない。大人のおセンチを許容しあうということを描きたかった。しんみりするような曲なんですけど、本当はそんな感じでもなくて。

 
去年のベストディスクの15位に前作『愛ならば知っている』を挙げて、僕はこれと似たようなことを書いていて、ああ彼女の表現から受け取っていたものは間違いではなかったのだなと思うに至る。その時の文を少し長いのでところどころ略しながら引用する。

「何でもあるけど何にもない」が仮想的だった時代から、何かであれと強要する存在への拒絶を声高に叫ばなければいけない時代へ。果たして現在地は?そう、「叫ばなければいけない」はとっとと過去形にしてこんな冬の時代は脱ぎ捨てて次へ行かなければいけなかったのだ。やっと僕らは何者でもないことを受け入れ始めたはずだったのに。いまだに君は何にでもなれるとか、君の力は想像以上だとか、そういうメッセージがのうのうと息づいているだなんて。(略)勘弁してくれ。アホか。どうして何者でもないままじゃいけないの?(略)何者でもない若者たちの、日々の悲喜こもごもを泉まくらは語り続ける。(略)棄てるなどしていたころから、あるいは卒業までにうとうととしていたそのころから、空虚さを展開することで逆説的にその関係性の濃密さを射抜いていた。そこをていねいに描き続けること、何者でもないことを真正面から受け止め続けること、そのことがお仕着せではない希望になっていくはずだ。

 
 
▼とはいえ、その正しさのようなものがそこにあったことに何か意味があるわけではない。そうではなくて、重要なことは彼女の発言そのものにある。自分も含めて青春ときちんとさよならができていない人間が少なからずいるのではないか。そしてそのことは何らかの生き辛さの出処になっているのではないか。そんな気持ちがわいてきて、それが先日のWZ!の文の根底には流れている。青春と無理に別れる必要はないのだけれども、でもちゃんと供養をして別れを告げないと、過去に生きることになるのではないか…。実際そこに10代が、青春があったかどうかは関係なくて、どうやらあったらしい、あるいはあったはずのものたちにも、正しくレクイエムを。それが大人になるということなのだろう。
 
 
▼自分をいつまでも子供だと感じるのは、そういう儀がいまだに自分の中で執り行われていないからなのだろう。結婚やらなんやらのライフステージが一段上がる(このイメージも貧しい気がする)ようなことが、その儀の役目を果たすのだろうか。


▼「大人のおセンチを許容」するということでいえば、3.11の後に「あれだけのことが起きたんだから、誰かのためにではなくて自分のために祈ることが重要なのではないか」と書いた。それと同じような話で、最近僕らは自分で自分に呪いをかけることができるのだから、同様に自分で自分を祝福できるのではないか…みたいなことをよく考えている。自分を祝福するためには気取ることも1つ役に立つだろう。でもその気取りが嫌みにならないために、つまり過剰さのない適切なふうに落ち着くためには、きっと自尊心…尊厳の有無がカギを握るのだろうと思う。そして尊厳には何よりも自分からの祝福が必要だ。そうなると堂々巡りになるけれど、自分からの祝福を補助するために他者からのそれがあり、それが僕にとっては音楽だった。そういうことをあの記事では言いたかったのだ(ほんとかよ)なのでこの蛇足でそれを言えた(言えてない)ので、よかった。めでたしめでたし。