2017年4月7日の断片日記

▼湿度が高い。雨が落ちなかっただけマシだなと思いつつもそれなりに上がった気温と強い南風に嫌な顔をしてしまう。のっぺりとした空気が、季節が進んでいることを感じさせる。冬が曖昧に終わって、春もきっとぼんやりと終わっていくのだろう。そして新緑の季節を挟んでまたやってくるあの憂鬱な日々へと流されていく。あじさいの季節といえば気分も上がるが、それでもあの空気と雨模様の前に、僕はいつだって一人になりたくなってしまうのだ。
 
 
▼子どもたちから、僕が与えたのとはまた別に学校の課題だという作文などの添削を依頼されることが少なくない。僕は責務を果たしつつこれぞ役得とばかりに個人としても楽しく読ませてもらうことにしている。今日届けられた少年のそれには、彼がふだん読んでいる物語たちからの影響が随所に見られた。「伝わる」ように細かい表現の修正を提案しつつ、僕個人としてはとても好きな文と内容であるということを伝える。そして、「文体を外から見るのは僕のような人間に丸投げして、今は文体に書かされることを楽しみなさい。」ということを14歳に「伝わる」表現で話した。(聡明な彼のことだから伝わっていると信じたい)
 
 
▼僕がローティーンのころに僕の文体を読んでくれた大人は、東京のラジオのパーソナリティだった。最初は当然ながら書いた内容について話してくれていたのだけれども、送り続けるうちに(当時はハガキだったなあ)、いちどだけ文体について触れてくれたことがあって、それはラジオネームを越えた僕個人の話のように思えてとてもどきどきしたのを覚えている。もちろん内容についても何を書いても面白がってくれていた。ディレクターさんと、パーソナリティが。つまり、大人たちが。僕はその当時文を読むのも書くのも全然好きではなかった。それが好きになってきたのは大学生になってからだ。それでも、その空白の期間の間も「大人たちがなんだか楽しそうに読んでくれていた」というその事実だけはずっと心に残り続けていた。きっとそれは、子どもたちが書いてきたものに接する際の基本的なマインドセットに影響を及ぼしているのだろう。それにしても、春だ。お別れが少しずつ迫っている。