2017年6月16日の断片日記

▼僕がこの先に選択すべきこと、決断すべきことについての情報を集めているうちにどんどん気分が悪くなっていった。知れば知るほど、現実ってやつが暴れだす。何をするにもお金がいるね。でもそのお金を稼ぐために時間と労力を割いてしまっては、いったい何のためにこんなことをしているのやらということになってしまう。気合いでえいや!ができるほどの体力があるわけでもないし、なにより精神論なんて大嫌いだから、落ち着いて出来る理由・出来ない理由を並べてみる。はじめるのは簡単だ。書類をそろえて提出し、お金を振り込めばそれでおしまい。でも重要なのはどうすればうまく継続できるのかと、しっかりと終わらせることができるのかだ。知れば知るほど、情報があればある程不安になっていく。それでもやりたいことでないのなら、そもそもこんなふうには動いていないはず。そうであるならば、悩むのではなく考えるしかない。
 
 
▼思えば、学校も就職先もまともに選択や決断をしたわけではなかった。ただ、(不可抗力もなかったわけではないけれど)最終的に選んだのは確かに自分なわけで、その責任を自分が負うことには何の異存もない。でもその傍らにあったのは常に詭弁ともっともらしさだけで、とにかくあれやこれやと理由をつけて、「決断すること」から目をそらしていたのだった。与えられた環境の中で何とかパフォーマンスすることそれ自体は役割を着こなす経験が蓄積されたおかげでそれなりに、だとは思う。まあ生きるだけなら問題ないだろう。でもその部分にしても折に触れて無力さを痛感させられているということは、いい加減に「決断」をすべき頃合いなのだろう。そろそろ自分からぼろぼろになりに行く覚悟を決めなければならない。そうすれば、そこに今までとは違うまともな意味を見い出せるようになるはずだ。
 
 
▼まじめにではなくて真剣に生きないとそろそろ簡単に逝ってもおかしくないなと感じているのだった。生きてりゃいいことあるさなんて死んでも思わんけど、生きなきゃ何にもならんよねとは思う。で、善く生きたいよねという話なんでさ、これは。これは、ていうか全部。ね。