重ねられた生活 20171007~1013

1007(Sat)

昼頃まで雨。冷えるかなと思って厚着をしていったが、ほとんど気温は下がらずじまい。湿度が不快な空気を起き土産にしていった格好だ。

そのコの心配事の話を聞きながら、何事もそうだけど自分の経験からのアドバイスはいかんなあと考える。経験に基づいたとき、往々にしてそれは事実からは離れてしまっている場合があるし、社会的な状況・環境、性別も異なればそもそもの人間が違う。一般化はできない。特に僕のは。そして喉元過ぎたものは大体の場合、過小評価か過大評価のどちらかでしょう?だから、そのときの「気持ち」を懸命に思い出す。スタート地点をそこにして、そこから語れることだけを語るようにする。
 
「えーあおいさん信じますからねー。失敗したら恨みますよー」 
 
うーん…なんかその僕の試みは果たしてどうだったんだろう。。
 
 

1008(Sun)

休み。のんびり起きて適当に支度をして髪を切りにいく。なんだかぼうっとした頭を引きずって、所用を済ませに恵比寿へ。早めに終わったので周辺をウロウロ、その後、中目黒やら代官山やらをうろつきながら、なんかえらく久しぶりに来たなという感じ。1年前までは祐天寺とかあの辺にばっかいたよな…。相変わらず住むとなると別なのかもしれないけど、遊ぶというか、ぶらぶらと歩くだけなら飽きなくていい。すっかり暗くなるまで周辺をあちこち。歩いたことのない道へ適当に入ったり、そのせいで虫に刺されたりした。いろんなことを検討して、今度の店を予約した。
 
その足で新宿へ移動して買い物。バックパックを入手する。3万円くらいかなと思ってよく確認せず会計したら5万円ぐらいした。学費の件があるから出費は抑えないとなあと思いながら何着かの衣類と靴まで買ってしまった。思いとは。閉店までの70分程度で、いったい僕の労働時間いくら分の対価が商品と交換されたのだろうか。
 
 

1009(Mon)

長くなったので単独で。
 
etlivsfragment.hatenablog.com
 
 

1010(Tue)

『告白』はⅢ巻の時間論まで進んでいる。まっこと、おもしろい。読みながら、僕の言っている「瞬間」(そしてそれは永遠である)というのは、果たして時間なのだろうかということを考える。正確には時間軸の中でとらえていいものなのだろうかと。瞬間のことを考えるときに、入口では分かりやすくするために流れ行く時間というものと対比させ<ただ、ある>存在として考えているけれど、もっと手前のところに実は問わなければいけないことがあるのではないか。
 

 ところでいま私にとって明々白々となったことは、次のことです。すなわち、未来もなく過去もない。厳密な意味では、過去、現在、未来という三つの時があるともいえない。おそらく、厳密にはこういうべきであろう。
「三つの時がある。過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」
 じっさい、この三つは何か魂のうちにあるものです。魂以外のどこにも見いだすことができません。過去についての現在とは「記憶」であり、現在についての「現在」とは「直観」であり、未来についての現在とは「期待」です。もしこういうことが許されるならば、たしかに私は三つの時を見ますし、それどころか、「三つの時がある」ということをも承認いたします。
 
アウグスティヌス 山田晶(訳)『告白Ⅲ』 中公文庫p.52

ここでいう「直観」とは語源であるcontuitusと注釈に従うなら「文字どおり、直接に、目前のものを、まのあたり見つめること」である。瞬間は時間で言えば確かに「現在」であり「直観」であるが…何かがひっかかる。でも時間であるからこそたどり着けないのだという解釈も可能ではあり…。 
 

 
 

1011(Wed)

僕がここに記していることは全部嘘だ。嘘というか、事実ではない。世の中にはフィクションとノンフィクションしかない?そんなばかな。フィクションとノンフィクションの間があって、その部分を書きたいし、書いている。そのはずだ。虚実ないまぜといったことではない。本当に、フィクションとノンフィクションの間の空間が<ある>のだ。特別な名前がないだけで。僕が生きているのも生活と人生の中間だ。というか意識してそこを歩こうとしている。そうでないとあっという間にどちらかに引き込まれてしまう。そんなの、つまらないから。
 
企てて時間を共有しながら、少しずつ自然さを手にしていく。そのこと自体が不自然とはいえ、自然な関係なんて全部不自然だろとか考える。相手と話しているときに自分と話していることがある。君と話していた頃、そのことをよく感じた。だからそれは君への愛に殉じているときに起こることなのかと思っていたけれど、最近はいつだってそうなのかもしれないと思い始めている。役割に袖を通せば、役割との対話が起こるだろう?だから…自然か不自然かだなんて、それらを感じられるかどうかの違いでしかなく。つまり、夢との近似。毎晩夢は見ているけれど、覚えていないってやつだよ。たぶん。
 
この先の天気予報を見て絶望的な気持ちになる。僕は土曜日の夜のような気分で毎日過ごしたい。
 
  

1012(Thu)

地下鉄の構内をずいぶんと歩かされる。乗り換えに失敗しているのか、それともこれがこの駅の構造なのか。終えた会議の内容をぼんやりと反芻しながら、予感のことを考える。電車が近づいてホームに風が吹き荒れる。今度の約束についての連絡を取り合う。顔を上げると車窓を挟んで景色が流れていく。では日々が流れていく様というのは、いったいどうやってとらえたらよいのだろう。
 
仕事を終え部屋に戻ると学生証やテキストの到着を告げる不在通知が入っていた。しばらく連勤が続くから受け取るのも目を通せるのももっと先になりそうだ。
 
 

1013(Fri)

終わったら、終わりなのだろうかということが頭をもたげる。何について、というわけではないのだけれども。先週はここまで。