2017年4月30日の断片日記

▼ wowee-zowee.hatenablog.com この行間と続きを少しだけ書こうと思う。あの娘の「せかい」が転がり込んできたあの夜には実はいちゃいけない人もそこにいて、おそらくそのせいで事態はほんの少し複雑になってしまったのだろうということを、約束があっさりと…

2017年4月26日の断片日記

▼知っている人もそうでない人もお構いなしに目の前で飛ばされていったり、水に飲み込まれていったりするような夢を見た。僕は周囲を見渡しもっとも生存確率が高いと思われる高台へと避難した。そこは架空の駅に併設された映画館の屋上で、そこから見る景色は…

2017年4月25日の断片日記

▼1日に対する期待値が高すぎると結局その終わりのときに、こんなふうになんだか良くない気持ちになる。だから嫌なんだ。誰かに、何かに、自分に、期待をすることは。そんなことを考えながらとぼとぼと帰り道を歩く。新しく買った腕時計とまた新たに子どもや…

2017年4月23日の断片日記

▼仕事を終えて電車に飛び乗る。駅に着くたびにホームに降りては車両を移動する。ギリギリ過ぎていつも乗る車両に届かなかったのだ。部屋の最寄り駅をやり過ごす。日曜の夜特有の穏やかさと倦怠が車内に漂っている。今日も「お別れのご挨拶」に訪れていただい…

2017年4月20日の断片日記

▼荷造りをしながら、今なら君が僕のもとへ残していったものの意味が少しだけ分かる気がするなとか思っている。それでも君が残したものたちは相変わらずそのままにしつつ、僕のものはどんどん捨てていっている。子どもや親御さんからもらった手紙は後生大事に…

2017年4月17日の断片日記

▼正確には昨日の夜のことなのだけれども、うっすらと夏のにおいがして、ああ気温が上がったのだなと思った。もちろん日中外を歩いていて「暑いな」とは感じていたのだけれども、それと「気温が上がった」と感じるのはまた別の話なのだった。気温だけでなく気…

2017年4月15日の断片日記

▼子どもがくれたディズニーのお土産を部屋の鍵にぶら下げている。これまでは6年前に横浜で買った世界で一番有名なビーグル犬のキーホルダーをつけていた。これで2つぶらさがっていることになるのだけれども、その色合いと質量のバランスがとても好みで、仕事…

2017年4月13日の断片日記

▼お別れの日に急かされて、いったい僕は何をしているの?とぼくが語りかけてくる。それでも少し思案した後に「したいことをするのは別に悪いことじゃないって気づいたわけだし」などと考えて結局動き出していく。本当にしたいことを見極めることについては慎…

2017年4月12日の断片日記

▼(当たり前と言えばそうなのだが)用があって渋谷に半年ぶりに赴いて、その情報量と喧騒になんだかひどく疲れてしまった。色んな人が話しかけてきた。全部無視した。20℃くらいまで気温は上がっていたようだった。いろんな街にいろんな思い出があるけれど、…

2017年4月9日の断片日記

▼前日の晩に久々に会った友人と食事をする。しばらくの間地理的に離れてしまっていたのだが、たまたまこちらへ来ているとのことだった。待ち合わせの駅の改札を抜ける。降りたことのない街の印象ってこの風景からスタートするんだよななどと考える。初めてバ…

2017年4月7日の断片日記

▼湿度が高い。雨が落ちなかっただけマシだなと思いつつもそれなりに上がった気温と強い南風に嫌な顔をしてしまう。のっぺりとした空気が、季節が進んでいることを感じさせる。冬が曖昧に終わって、春もきっとぼんやりと終わっていくのだろう。そして新緑の季…

2017年4月6日の断片日記

▼開いた扉の隙をついて転がり込んできたあの娘とは、そういえば1年くらい前にはもう出会っていたはずなのに人生何が起こるか分からないものだなと、おろしたてのステンカラーコートを身体になじませながら呆けた顔で考えていた。信号待ちの交差点で強い風が…

2017年3月31日の断片日記

▼ある対立が存在していて、僕は本来自分が立たなければいけない立場ではない方に肩入れしている。それでもその両方のどちらも実は間違っていなかったり、あるいはその両方ともが実は相手のことを考えた末の決断で…というケースもたくさんあって(そういうも…

2017年3月23日の断片日記

▼家電量販店でブックライトを選んでいるときも、仕事の間も、仕事を終えて部屋に戻るときも自分以外のことを考えていた。それでも荷物を片づけて温かい飲み物を準備して自分のことを思ったとたんに、10代のなかった僕にも青春の終わりが訪れたのだと気がつい…

2017年3月21日の断片日記

▼ いうまでもなく本は単に読むためのものばかりとは限らない。というのは、読まれつつある時だけ本の効用があるのではない。いつでも読み得るということ、否いつでも楽に見ることが出来るということが、本の効用なのであるから、読まなくても何か所有すると…

2017年3月20日の断片日記

▼人間の関係というのは劇的に始まったからといって劇的に終わらなければならないということはないようだ。頼りない逢瀬の契りは5日遅れでふらふらと不明瞭に始まり、そのまま曖昧に果たされた。僕らは交わす言葉も少なに、そしてありがとう・さようなら・元…

2017年3月19日の断片日記

▼自分の中に湧き上がっている感情を理解するためには、感情の容器に(感情そのものを掬いあげるための)理解のスプーンを差し込むスペースが必要だ。今はそれすらもないほどに、容器の中がギチギチに詰まってしまっている。次から次へと色々なことが起こって…

2017年3月11日の断片日記

▼いまだに態度を決めかねている都市(それはそれで意味も救いもあることだとは思う)を横目に、もはや「忘れない」とかそういうレベルの問題ではなく「忘れるわけないだろ」に到達してしまっている多くの人々にとっては、この日付自体に役割はないだろう。そ…

2017年3月9日の断片日記

▼役割を脱いだところの対人においてハードルがぐっと低くなっているのを感じる(それでもまだまだそびえたっている感はあるが)。もはや何が原因でこんな風になってしまったのかも分からないが、それでも最近の具合を見るに、ずっと伸びたテープのようになっ…

2017年3月4日の断片日記

▼汚れてもいいやと選ばれた服たちのことを、脱ぐときになってやっと少し考えて、かわいそうなことをしたかなと後ろめたさがやってくる。本当は汚しても、汚れてもいい服なんてないはずなのにね。 ▼「えいや」を詰め込んだ1日。いざ「えいや」のそのときが来…

2017年3月3日の断片日記

▼「僕の」季節の変わり目である。でも、変わり目であるというのはおごった考えであって、本当は終わり目であるのかもしれないなどと考える。もうずっと、最後の日々を過ごしている。 ▼というようなことが頭をもたげていたのが2月の下旬で、気がつけば暦は既…

2017年2月17日の断片日記

▼陳腐だなと思わないでもないんだけど、ここ数日「だいじょうぶ」という言葉の収まりがよくて、ひとりごとも含めてずいぶんと使っている気がする。じょうぶなだけでもたいへんなことなのに、そこに「大」までつけるだなんて。その強気っぷりにはらはらする。…

2017年2月15日の断片日記

▼本と映画と音楽の話をしたい。それで、その話をするために読んで観て聴きたいと考えているふしがある。それら3つは僕の好きなものだ。だからこそ、今は我慢しなければならない。あとおせんべいとお酒もやめている。願掛けとかあんまり信じないたちだったけ…

2017年2月14日の断片日記

▼毎朝、8年はやっぱり長いよなと思うのだった。でも、そのうちのいったいどれだけの時間を僕らはまともに向き合って生きていたのだろう。君にそれを問うても、そんなのほとんどなかったじゃんと連れない返事。それでも今ならその返事の意味が分かる気がする…

2017年1月28日の断片日記

▼君との関係は新しい季節を迎えている。恋人ではなく、友人でもなく、ましてや今までの共犯関係でもなく。とても不安定な薄氷の上を、少しずつ歩みあうようなそんな繊細さ、慎重さで一から組み直していく関係。僕らが真に出会ったその時に見える道はきっと地…

2017年1月22日の断片日記

▼控え目な花たちはどうなったのだろう。弱くか細い声は、そのまま消えてしまった。それでも周波数を変えてそのお知らせは、夢でも現実でも夢みたいな現実でも、何度も聞いたあの声で届けられた。 ▼僕はずっと見ることが最も大切なことだと言ってきて、実際そ…

2017年1月21日の断片日記

▼批評とは竟に己の夢を懐疑的に語る事ではないのか、という小林秀雄の言葉があってとても好きなのだった。自己投影の可能性を、つまりは対象を語ることは己の何かをそこに仮託することではないのかという根本的・根源的な部分に向けられた懐疑の視線、そうい…

2017年1月19日の断片日記

▼季節の向こう側から、あの人に会える機会が舞い込んできた。僕はどうすべきか迷った。迷いの理由は明らかで、僕のこの現状を話せるのも、また理解してくれるのもこの人だけなのだが、この人にだけは話してはいけない理由があるからなのだった。甘えてはいけ…

2017年1月18日の断片日記

▼もたもたしていた。祈りを通じて反復する日々の中で、「その不在」が「自己の不在」と溶け合い、僕はまるでアシッドまみれのような状況に陥り、とにかく目と耳を塞いで自閉し続けるしかなかった。のだった。でもせっかく思い立ったのだからと、10日以上も遅…

2017年1月10日の断片日記

▼ふとした(というにはあまりにも長く大きなものではあるのだが)きっかけで、古い友人と食事をして、ごくごく普通の会話をして、帰る。寒空の下、別れてひとりでとぼとぼと歩けば歩くほど、厭世的な気持ちになってくる。先の会話のせいだった。これはいけな…